「夜読む日記」
「嫉妬について考える」
以前コラムに書いたことがあるが、私は若い頃かなり嫉妬深い人間だった。
嫉妬というと一番に色恋を連想する人が多いと思うのだが、それは恋愛の嫉妬ではない。
私が勝手にイライラしたり嫉んだり、心をグルングルンにかき回されていたのは同世代の作家やクリエイターに対する嫉妬であった。
例えば自分がやってみたい仕事をしている人、自分が理想としている場所にいる人。
そういう人を見るたびにマジで勝手に苦しくなり、腹の中にでかい宇宙が産まれるような、何ともいいようのない寂しさというか、焦りというか、不安というか…
とにかくSNSを開いては勝手に憧れている相手のアカウントをチェックしに行き、勝手にショックを受け、勝手に焦っていたのである。
私がメラメラと勝手にライバル視していたクリエイターさんたちは、画面の向こうでただ努力していただけなのにはた迷惑な話である。
もっと厄介なのは、自分とは全く違うジャンルで活躍している人にまで嫉妬していたことだ。
本来なら比べる必要もない別のジャンルの絵や漫画や立体造形や、はたまた起業家、お笑い芸人…
私には描けないものだし、そもそも目指している場所も違う。
それなのに、まぶしくて見ていられない。
本当に今だから言える事なのだが、SNSにある何を見ても「私が描きたかった!」「悔しい!」と思っていたのである。大げさではなく。(マジで大げさであってくれたらよかったのだが)
他の人々のSNSで活躍を見るたびに落ち込むので、「いよいよ自分はおかしい!」と気づき、ミュートしたり、見ないようにしたりしていた。
それでも我慢できずに見に行ってしまったりするのだが…そしてまた落ち込むのだが…
まさに自分だけで作り出し、私しかはまり込んでいない負のループ。最悪すぎる。
さらに25歳を過ぎた頃からは、自分より年下のクリエイターがどんどん活躍し始めるのである。世間もなにも知らない愚かな私は、これまでは若手作家として周りに年上しかいなかったわけであるが、新しい才能が!花開いている!
私より絵がうまくて、私よりソリッドな表現をする若者たち…まぶしい…まぶしくて見ていられない…でも見てしまうのだ…見て焦ってしまうのだ。
「あの人はもうこんな仕事をしている」
「私はまだここにいる」
そんなことばかり考えて、夜中にSNSを開き心臓がバックンバックン鳴り響く。
別に誰も自分の事なんて見ていないはずなのに、周りに敵がどんどん増えていくような気がして本当に苦しかった。
今思うと、あの嫉妬にはいくつか理由があった気がする。
まず【自分と他人の境界線が曖昧だった】こと。
誰かが成功すると、自分が置いていかれたような気持ちになっていた。
自分の価値がすり減っていって、誰にも相手にしてもらえなくなるような、そんな恐怖があったのだと思う。
本当は他人の人生と自分の人生は別物なのに、同じレースを走っているような感覚になっていたのだ。
次に私は【自分自身をよく分かっていなかった】
自分がどんな絵を描けるのか、どんな仕事が向いているのか。
そういうことを理解できていなかった。
だから誰かの仕事が全部うらやましく見えた訳だ。
自分の進む方向が見えていない人間は、他人の道が全部正解に見える。
他の人だって当たり前に悩んで努力しているはずなのにね。
そして最後に【私は「他人の活躍が自分の人生を脅かす」と思っていた】
誰かが仕事を取れば、自分の仕事が減る。
誰かが評価されれば、自分の価値が下がる。
そんなふうに考えていた。
でも実際はそんなことはなかった。
誰かが活躍していることと、私の人生はマジのマジで関係がない。
その人が得をしたからといって、私が損をしたわけではない。
誰かが賞を取っても、誰かがテレビに出ても、誰かの本が売れても、それはただ「その人に良いことがあった」という事実でしかなく、めでたいことは素直に祝うべきなのである。
誰かが活躍したって私の人生から何かが失われるわけではない。
最近は、人類全員が別の職業をしているようなものだと思うようになった。
たとえ同じイラストレーターや漫画家であっても、描くものも、得意なことも、求められる役割も違う。
自分が関与できるのは、自分の人生だけなのだ。
嫉妬を完全になくすことはできない。
今でも「いいなあ」と思うことはある。
でも以前のように眠れなくなることはなくなった。
他人の人生を見張る時間を減らして、自分の人生に使う時間を増やそう。
結局のところ、自分の人生を前に進められるのも、いい方向に舵を切るのも自分だけなのだから。



