散歩 this way 2 -03-
得難い世界観で溢れる音と歌詞が、音楽ファンから注目を集めているシンガーソングライター/詩人の柴田聡子が綴るエッセイ。
テーマは趣味であるという「散歩」。本人が実際に撮影した写真とともにお楽しみください。
「読書散歩」
今年も夏が来た。日差しがあつあつすぎて、外に出るたびに新鮮に驚いて「暑い!」と目をガン開いてしまう。地球のことはあまりわからなくて、私たちも相応のことをしているから……と黙って歩く。散歩も時間を選ぶ季節、木々の生い茂る森や山などへ行ったら散歩もしやすいのかなと夢想する日々。木々はすごすぎる。木々が遮った日差しを受けない土も冷たすぎる。
森や山の散歩でやってみたい散歩と言えば、読書散歩。本を読むのは好きだけれど、椅子に座ってとか机に向かってとか、じっとしながら読むのが少し苦手である。反して移動する電車やバスの中で読むのは大好きでさくさくと読み進められる。多少からだの動きが伴う環境だとたのしいのかと予想してみると、歩きながら読んでみたら相当いいのではと考えるようになった。なぜ森や山か。
歩きながら読書している人についてよく覚えている光景としては、駅での小学生。読書に没頭して、一瞬たりとも本から目を離さずにいてもなぜか人混みをすり抜けていくことができる彼ら。これはすごいといつも感動している。ただ、あぶない。
街中や誰もいないにしても道路などもあぶない。誰もいない時間帯の公園だと現実的だろうか。やはり早朝か。街灯はあっても深夜は文字が読みづらくて目が悪くなるかもしれないし、単純にあぶないし、やめよう。あぶない、ということに昔より敏感になっている。ちいさい頃、家族や知り合いによく「あぶない!」と叫ばれていた。その気持ちがよくわかる。私もこの頃街でよく知らない人に「あぶない!」と声かけそうになる。守ろうという気持ちに、歳をとってあぶないことへの危機管理体制がしっかりせざるを得ないのがかけあわさって、あぶないことはほぼできなくなってきたと実感する。5年に一回くらいしか冒険できなくてむずがゆい。
話は戻って、読書散歩は起き抜けに散歩に出てきたワンコの飼い主たちから警戒されるだろうか。とはいえ公園って、想像よりもみんないろんなことをしている場所だよな。からだを陽で焼いている人もいるし、太極拳をする人もいるし、表情筋のマッサージなのかダイナミックに顔を動かしている人もいるし、よくわからない棒をもって座っている人もいるし、歩きながら読書をするということは特別なことではないように思う。公園は開かれた場所でさまざまなことが許された場所だととらえている。
ただ、こういうことを誰かに話すと、そうではないのかもとも思う。同年代の男性の友人は、平日の真昼間に公園をぶらぶら歩けないと言っていた。公園の中がすべて見渡せるようなつくりのところもよく見るようになった。私の近くの公園には、「ワンちゃん交流スペース」という立札があり、その範囲は狭くてかなり端っこにある。こういうことは安心を確保する側面もあって頼もしくはあるけれども、なにがしかのつよい意思をうっすら感じてどきどきする。だから公園は座るか歩くか、歩くにしても何周も何周もぐるぐるしないように気をつけていて、でも木々は気持ちよく、花は可愛く、行けばいつでもそこにあって受け入れてはくれてありがたくて、それでいいと思うし、複雑な気持ち。
ということで、森や山である。でも多分、森や山に夢を見すぎている。ははは。人の居ない森や山も今は珍しい。木の根に足をとられたり、電信柱のように木の幹にぶつかったりするだろうし十分あぶない。からだの使い方に相当神経を使って本を読むどころではないかもしれない。森や山で動物に出会ったら、公園以上にお互いの生存を賭けた熱いやりとりがかわされるのだし。



