「夜読む日記」
流行りにのって踊ることで見える景色
「さて、今月は何を書こうかな~」とコラムを書くたびに意気込んでいる。
夜読む日記は私がこれまでの人生で感じたことを書き残し、読んでくれた人に何か伝えられたらなあと始めたコラムだ。
私は今年で35歳、そう、たかが35歳なのである。人生経験が強烈に豊富という訳でもないため、読み返すと「このコラムとこのコラム言ってることめちゃくちゃかぶってるな…」ということが出てきた。これはかなりダメではないか…?
思えば私は人に「何かを伝えなければ!」と思う気持ちが強すぎる節がある。
今回からは反省を生かし、肩ひじ張らずに「日記」という大きなテーマに沿って色々書いていきたいなと思っている。
●とにかく漫画を読む月刊
さて、最近私は漫画をよく読むようになった。
今月は色んな漫画を電子書籍でまとめ買いして読んでいる。
子育てをしているとどうしても子供の趣味に合わせたものばかりを摂取してしまうのだが、自分の気になるものを遠慮せず読む時間を作りたいなと思ったのだ。
現在自宅保育中なので子供が眠り、自分の仕事をひと段落させた後に読むことにしているのだが、これがなんともいい時間なのだ。
スマホは凄い。軽いし暗くても読めるし。
電子書籍もすごい。気になところまで時間関係なく全部買えちゃうし。
そうして気になるものをとにかく買って全巻読んだら次の漫画を買って読む…を繰り返している。
●なんで最近自分は漫画を読んでいなかったんだろう
漫画を読んでいる間「なんで最近自分は漫画を読んでいなかったんだろう」と考えた。
なんとなく自分の中の憂鬱の起点って大体コロナ禍にあって、あのあたりでいろんな好奇心とか、挑戦したい気持ちみたいなものが一度ぽっきり折れた気がする。
あの頃の「不要不急の外出を避けてください」をきっかけに、日本の漫画文化はまた大きく進化したように思う。
物凄いヒット作が出て、アニメ化した作品の主題歌がバズって、SNSに溢れかえる。電子書籍を利用する人もかなり増えたのではないだろうか。
私はというと「面白そうだな~」とおもいつつ、なんとなく「自分が読むべき作品じゃない気がする」というレッテル張りをして、流行っている漫画を読むことを避けるようになった。
上手くいっていない自分の生活と、とても流行っている作品を比較して意地を張って触れなくなっちゃってたのかな?当時の自分の気持ちはもう思い出せないけど、なんとなくそういうことだった気がする。
流行りになんとなくついていけない。SNSの流行りがなんか異常にチャラついて見えてしまって受け入れられない。
そんな感じ。ウ~ン。やっぱり私は世の中に対していじけてしまっていたんだろうなと思う。
●流行っているものは面白い
あれから何年もたって、何がきっかけかは忘れたがとにかく漫画を読みたい!と思った。
1冊ダウンロードして深夜に読む。
面白い。
勿論自分にとって合う作品合わない作品はあったが、どれもそれぞれ文句なく面白かった。
自分にはない発想だらけだ。自分の見たことのない景色だらけだ。
本屋に並んでいる本、映画館、劇場その他諸々、人間の発信するコンテンツって全部面白かったんだ…当たり前のことなのに当たり前すぎて気づいていなかった。やばい。世界がきらめいている。
流行っているものって「メディアの洗脳~とかSNSに踊らされてる~」とかなんとか、いろんなバットな意見もあるが、私はどちらかと言うとそういうバッドな意見に踊らされていた側なのかもしれない。
やはり流行っているものはシンプルに面白いのである。これはゆるぎない事実だ。
斜に構えるなんて損じゃないか。
●流行り物は素晴らしい
さて、食わず嫌いを続けてきた私だが、流行りもの摂取することによって「人との会話の幅が広がる」という副産物も得た。
例えば大学で生徒がつけているキーホルダーから話が広がったり、友達との会話のレパートリーが増えたり、ネットミームを理解できるようになったり等…
何かを吸収すれば吸収するほど人の話が理解できる。
何に関しても「よく分からないな」「ついていけないかも」で終わらせるのは勿体無い事だなとつくづく感じた。
●人生は踊れば踊るほどいい
「踊る阿呆に見る阿呆」という言葉がある。
どうせ同じ阿呆なら、踊って楽しむ方が得だという意味だ。
私は最近この言葉がとても好きで、よく心の中で反芻する。
人生を楽しくするコツは、恥ずかしがらず怖気付かずに新しいものに飛び込む事なのではないだろうか。
それはアメリカに留学します!とか、仕事を辞めて会社を立ち上げます!みたいなどデカいものじゃなくていい。
ずっと見て見ぬ振りをしていた壁の汚れを雑巾で拭くとか、食べたことのない野菜を食べてみるとか、そういうちょっとした挑戦を毎日少しづつ連鎖させるだけで、新しい何かに出会うことができるのだ。
私は今日も新しい漫画を読む。
踊らにゃ損と踊ったそのステップは、今日も私を少しだけ新しい場所へと運んでゆくのだ。



