「夜読む日記」
コロナ禍になってすぐ、夫の様子がおかしくなった。
私はイラストレーター、夫はミュージシャンをしている。
我々は2019年に結婚し、一緒に住み始めてすぐに家を半ば強制的に引っ越すことになってしまい、その直後日本にコロナがやってきた。
私はほぼ在宅ワークなのであまり仕事に変化はなかったのだが、夫のライブは外出自粛、緊急事態宣言による中止に次ぐ中止。
それにプラスして引っ越しによる環境の変化でストレスが溜まってしまい、元々酒が好きだった夫は不安から飲酒量が増え、朝から晩まで家の中でベロベロになっていた。
朝、暇だから飲み、昼は友達とzoom飲みをして、夜は晩酌を飲む。一日中飲み続ける。
さすがにヤバいと自分でも思うのか、数日に一回おきに家にある酒が一気に捨てられるのだが、次の日にはコンビニで大量の酒を買い込み、結局自分の意志では禁酒ができない様子だった。
そんな日々が続く中、いよいよ夫の様子がおかしくなった。
何のきっかけも無く、突然猛烈に落ち込むのである。
大人の男が目の前で落ち込んでいる。地面にめり込みそうなほど地面に突っ伏している。
というかもうめり込んでいる。
とりあえず慰めてみたり放っておいてみたりする。
飲むのをやめたほうがいいと何度も説得を試みたが、自分の意思で出歩き、酒を買い、飲んでしまう。お手上げだ。
今思うと夫はかなりの鬱状態だったのだと思う。それを打ち消すための酒だった。
世間では外出もよしとされておらず、外に出かけて友達と遊ぶことが好きな夫は酒以外の手軽な気分転換の方法を思いつけなかったのかもしれない。
では生粋のインドア派の私が、夫に家の楽しみ方をレクチャーしてやろう!と閃いたのは、スーパーに買い物に行き、アイスクリームのコーナーに立ち寄った時であった。
同行していた夫に「今日はお酒は買わないでおこう」と提案し、かわりに「奢るから」と夫の好きなパルムをカゴに入れた。
6本入りの箱のやつ。全部夫にあげよう。贅沢だ!
早速家に帰ってパルムを冷凍庫にいれてから、お風呂にお湯を溜める。
そもそも夫はシャワー派で、湯船に浸かるという行為もあまりしていなかった。それは非常に勿体無い!悪魔的な風呂の入り方を私が教えてやろうではないか。
お風呂が沸くと夫を風呂へと連れて行く。入浴剤も入れちゃおう。
夫がお湯に体を入れると湯船からお湯が少しあふれる。少し勿体無い気もするが、それも楽しい。
風呂の窓をあけてやる。当時住んでいた家の風呂には大きな窓があり、開けると遠くまで景色を見渡すことができた。時間は夕方になる少し前。まだ空は明るい。
仕上げに夫の口にパルムを放り込んでやった。
夫は風呂で何かを食べるという体験が初めてらしく、最初こそ驚いていたが、窓から見える景色とお湯の暖かさ、口に広がるアイスの冷たさと甘さで、久しぶりにホッとした顔をしていた。
「たのしい、なんだかすごく悪いことをしている気分だ」と夫。
「そうだよ」と私。
家の中だって面白いことはたくさんある。悪いことだってできちゃうし、家でしかできない楽しいことはたくさんある。
ここは世界で唯一、自分のルールで行動しても、どんな自分でいても誰にも怒られない場所なのだ。それを知って欲しかった。
夫は「ふーん」と言って笑っていた。
伝わっているんだかいないんだか。でも楽しそうならまあいいか。
その日を境に不思議と夫の飲酒量は減っていった。不安定になる日も次第に減っていき、今では驚くほどピンピンしている。
代わりに冷凍庫にはいつもパルムがある。
力が強い人弱い人、頭がいい人運動が得意な人、家でじっとしているのが好きな人外で遊ぶことが好きな人、色々な人がいるから誰かがつまずいても絶対に誰かが起き上がり方を知っている。
人間はとてもうまくできているのだ。
私もまた、これから先つまずいた時に私とは全く違う考えを持つ誰かに助けられるんだろう。
つまずくことはあるだろうけど、その時はまた誰かの知恵を借りながらじっくり次の一手を考えればいい。風呂でパルムでも食べながら。