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真魚 八重子「映画でくつろぐ夜」

真魚八重子「映画でくつろぐ夜。」

Netflixにアマプラ、WOWOWに金ロー、YouTube。
映画を見ながら過ごす夜に憧れるけど、選択肢が多すぎて選んでいるだけで疲れちゃう。
そんなあなたにお届けする予告編だけでグッと来る映画。ぐっと来たら週末に本編を楽しむもよし、見ないままシェアするもよし。
そんな襟を正さなくても満足できる映画ライフを「キネマ旬報」や「映画秘宝」のライター真魚八重子が提案します。

■■本日の作品■■
『トイレット』(10年)
『初恋のきた道』(99年)

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

餃子と映画

 かかりっきりだった大きな書き仕事が終わったとき、ちょっと手の込んだ料理を作ることにしている。手先の作業に没頭するのは無心になれて、本当に仕事に区切りがついたという満足感が得られるのだ。それに、おいしいものが食べたいから手間をかけるという作業は、心の穏やかさ、健やかさのバロメーターにもなる。なかでも一番集中力と、気力がみなぎっている時じゃないと取り掛かれないのが餃子だ。

 もちろん皮から作るのが醍醐味で、最初の楽しみは粉がまとまっていく段階だ。北海道産の強力粉を使い、普段は置き場に困る大きなめん台で粉を練っていく。少し油を足してこねていると、徐々にツヤや弾力が出て、なんともてのひらで押すのが気持ちの良い、赤ちゃんの頬っぺたみたいな触り心地になる。それを切り分けて円形に延ばし、餃子の餡を包むのだが、最初は打ち粉が足りなかったり、具の野菜の水切りが足りなくて皮が破れてしまったりと失敗もした。いまでもその塩梅は難しいものの、とにかく手作りは皮のしっとりした柔らかさやモチモチ加減が最高においしい。わたしは水餃子が好きで、茹でるときにいったんは沸騰した湯の中にもぐっていた餃子が、火が通ると次々にプクリと上に浮かんでくるのも楽しい。

 一気呵成に料理をするという行為は、心に波風が立っていて雑念が多いときには、どうも手がおろそかになる気がして取り掛かれない。料理への集中力を上回る、頭の中に垂れこめた暗雲があるときには、抱えた問題以外のことはストレスになる。でも料理とストレス発散は微妙にせめぎあいをしていて、たいていならやることが多くて気を張るぶん、料理は悩み事を忘れられる作業だ。そのラインのどちらに比重があるかで、自分の心の疲れ具合がわかるともいえる。

餃子を食べること、作ることが悩み多き心の浄化になる様子を描いた映画がある。荻上直子監督の『トイレット』(10年)だ。カナダでロケがされ、もたいまさこ以外は外国人キャストによる、全編英語という一風変わった作品である。

主人公のレイは、引きこもりの兄モーリーと、勝気な妹リサとの三人兄妹で、映画は彼らの亡くなった母の埋葬シーンから始まる。家には母が死ぬ直前に、日本から呼び寄せたばーちゃん(もたいまさこ)もいるが、彼女は英語が話せないので意思の疎通が図れない。レイは火事で一人暮らしのアパートも失い、兄妹たちの住む実家に戻るが、家族に何かあるたびに、レイの職場には助けを求める電話がかかる。レイ自身の心が落ち着く暇はなく、今日も「ばーちゃんが行方不明になった」という連絡を受けて町中を探すうち、とうとう借りた車で事故を起こしてしまう。

レイが疲労困憊して帰宅すると、ばーちゃんは家に戻っていた。家族は何事もなかったように和気あいあいと餃子を作っていたため、レイの癇癪が爆発する。しかし夜更けになってばーちゃんが温め直した餃子を出してくれ、祖母を通して亡き母の餃子の味を思い出したレイは、言葉が通じないなりにばーちゃんと打ちとける。

後日、レイも加わって餃子を皮から作るシーンがある。それは手を使って皮をこね、具材を包んでいく作業を通して、彼らが親密になった良好な状態を表している。もたいまさこがフライパンで焼いた餃子を皿にひっくり返した際の、おいしそうな焼き目の色が印象的だ。

『トイレット』
監督:荻上直子
出演:もたいまさこ、アレックス・ハウス、デイヴィッド・レンドル、タチアナ・マズラニーほか

餃子が重要な要素となる映画といえば、『初恋のきた道』(99年)が真っ先に浮かぶ。監督は中国の名匠チャン・イーモウ。ヒロインのディを演じるチャン・ツィイーのデビュー作で、彼女の可愛らしさは鮮烈なインパクトをもたらした。

映画は中国の寒村を舞台に、ディが都会からやってきた青年教師に一目惚れした、一途な姿を描く。ディは先生の朗読を聴くため、毎日学校のそばへひっそり通いつめ、重い水汲みも遠出して学校の前の井戸までわざわざ出向く。言葉を交わすようになったある日、文化大革命によって先生は都会に連れ戻されてしまうが、その帰りを寒い雪の日に、丸一日山道で待っていたディは倒れてしまうほどだ。

ちょっと思いつめすぎじゃないかというくらいのひたむきな愛情が、黄葉が輝く鮮やかな山の情景とあいまって、原初的な純愛として瑞々しく描かれる。映画は先生を遠巻きに見つめるディの、ドキドキに満ちた表情のアップを何度も捉える。そして、ときに彼女の視線に気づいた先生が、微笑んで見つめ返すまなざしを受けて、歓喜するディが山道を溌剌と駆けていく姿につながっていく。牧歌的な映像が力強くて、恋愛の純粋な喜悦が画面からあふれてくる。

先生は毎日村人の家を回って食事をとることになり、ディは順番が回ってくると、先生の好物である「きのこ餃子」を丹精込めて作る。この場面でディが鍋の蓋を開けたときの、餃子から立ちのぼる湯気がなんともおいしそうなのだ。なかなか来ない先生を待つ間、すぐに温かい料理をふるまえるよう、ずっと餃子を蒸し続けている心遣いも細やかな愛情を伝える。もっちりしたちょっと厚めの皮や、餃子の少し大き目なずんぐりした形も、無垢で純粋な気持ちそのものだ。

久々に『初恋のきた道』を見返して、こんな良い映画だったかと感嘆した。封切りで観たときより年をとって、若者の熱愛を客観的に、落ち着いて見られるようになったからかもしれない。そして日本ではあまり聞きなれぬ「きのこ餃子」を、次回は作ってみようと思ったのだった。

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ライター紹介

真魚 八重子
映画ライター
映画評論家。朝日新聞やぴあ、『週刊文春CINEMA!』などで映画に関する原稿を中心に執筆。
著書に『映画系女子がゆく!』(青弓社)、『血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィ宣言』(Pヴァイン)等がある。2022年11月2日には初エッセイ『心の壊し方日記』(左右社)が発売。
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