散歩 this way -12-
得難い世界観で溢れる音と歌詞が、音楽ファンから注目を集めているシンガーソングライター/詩人の柴田聡子が綴るエッセイ。
テーマは趣味であるという「散歩」。本人が実際に撮影した写真とともにお楽しみください。
「都心散歩」
年々その文字面が強烈な字体と色彩を伴って迫ってきているような気がする三寒四温を乗り越え春がやってきた。糸のような霧のような細やかな春雨と交互に吹きまくる風雨に生命力が試されている。駅までの道のり、傷だらけでも折れないビニール傘を向かい風に突き刺し、なにごとにも立ち向かっていかないと先に進めないと学ぶ日々。いつかこのからだでは立ち向かえなくなる日がくるのだろう……。桜は即座に散りまくり、だからこそ永遠を願う気持ちが大きくなり、ハウスミュージックを聴いて涙を流したりしている。情緒が不安定。
そんな激動の春のあいま、青山から六本木に向かう道を大好きな人たちと4人で歩いた日があった。夕方からの雨に出会わないようにと昼くらいから歩いた。ほんとうに雨は降るのか?というほど風は穏やかで、うすい曇り空からあたたかいひかりがたまに差すくらいの最高に過ごしやすい状況。そしてたのしい散歩。しあわせすぎるだろ!と天を仰いだ。
そういえばこのあいだ、こんな日和の日、友人がペプシ片手に散歩してやってきた。居合わせたもうひとりの友人が「コーラよりペプシ派ですか?」とたずねていて、それに「最近ペプシで」と返して、「わかる!」と意気投合しているやりとりを眩しく眺めた。私は炭酸飲料の炭酸が痛くてあまり飲めない。ビールはいけるけれども、清涼飲料水の炭酸はキツくて、痛ッ!となる。あれがいいとはわかっているけれども、猛烈に味の濃い食事をした日の風呂上がりくらいしか気持ちよく飲めない。それも年2回くらいしかないうえにやっぱり痛いのでごくごくいけない。春の日差しのなかで飲む炭酸は格別なんだろうな。しかもコーラからペプシがよくあるルートなんだ。
東京の中でも都心を歩くのはたのしい。東京という街の中の大きくて長い血管を赤血球になってピューっと動いている感じがする。歩いているというより、流されているように思う。それが抜群に気持ちいい。大きな道ではそんな爽快感を感じながら、そこに交わる道に入ってみると一気にスピードが落ちて、道に馴染むように歩くことが出来るのもいい。
見上げたり見下げたり、よく見たりぼんやり見たり、どこに注意を向けてもなにかがあって面白い。でかいアメジストが置いてあったりする。ここにはなにかの除け方の情報がとても多いのだろうと感じて、その中には信じられないような、予想の上の上をいく荒唐無稽なものもあるのだろうと思うとグッとくる。そういうことをたくさん見聞きしてみたい。ほんとうにたくさんの信条があると感じたいし、それが自分にもたしかに信条があるという再確認もなる。これに都会は関係ないかもしれないけれども。
どこまでも横たわる首都高のからだを横目に歩いていく。喧騒と静寂のコントラストが高くてくっきりしているのも魅力。交差点で急に大きな音がしてきて、そのあいだあいだの道では急にしんとして刺激的。ビュンと車が通ってびっくりするのもたまらない。ここに真夏の日差しと日陰、真冬の空っ風とラーメンなど季節の刺激物が合わさると脳みそが踊り出す。出来る限り踊っていたい。
ああ、赤のれんが見えてきた。好きなラーメン屋である。普段はかたくなに袋のチキンラーメン専門なのだけれど、年2回くらい外でラーメンを食べたくなる。その時あたまに浮かぶのはここだ。家の中であたまに浮かべただけで記憶の中の赤のれんがきちんとしあわせにしてくれて思い切ってダッシュで向かうなどはしていない。家から遠いし……。
六本木の駅の近くまで来て、SHAKE SHACKの前でこれから合流する人を待つ。そのあたりにあった人工芝のことをつい「偽の芝生」と呼んでしまい、この芝生が果たしている役割を前に偽だの本物だの言って、人知れず自己嫌悪に陥る。



