「映画でくつろぐ夜。」 第31夜
知らずに見ても楽しめるけど、
知ればもっと作品が奥深くなる知識、情報を
映画ライター、真魚八重子が解説。
「実は共通の世界観を持っている異なる作品」
「劇伴に使われた楽曲の歌詞とのリンク、ライトモチーフ」
「知っていたらより楽しめる歴史的背景、当時の世相、人物のモデル」
自分には関係なさそうとスルーしていたあのタイトルが、
実はドンピシャかもと興味を持ったり、
また見返してみたくなるような、そんな楽しみ方を提案します。
■■本日の作品■■
『暗くなるまで待って』(1967年)
『マイ・フェア・レディ』(1964年)
※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。
オードリー・ヘプバーンの秘密の恋と悲しみについて
オードリー・ヘプバーンの伝記映画『オードリー・ヘプバーン』が先月公開になった。ヘプバーンの主演作である、『ローマの休日』や『ティファニーで朝食を』などをご覧になった方も多いだろう。生涯の親友であった、ユベール・ド・ジバンシィがデザインした衣装を着こなしたヘプバーンは、ファッションアイコンとしてもいまだに人気を誇っている。あれだけか細くて可憐でありつつ、役柄は溌溂と明るいキャラクターが似合うのは、稀有な魅力だ。
ただ、意外に彼女の私生活については、知らない方もいるのではないだろうか。清純なイメージのあるオードリーだが、実際には情熱的で恋多き女性でもあった。もちろんそれは、決してだらしないという意味を指すのではなく、たとえば恋人である男性の舞台を手伝うために、映画の大きな役を断るほど愛を重んじるタイプの愛し方であった。今ならマスコミに叩かれてしまうだろうが、『麗しのサブリナ』で共演した妻帯者のウィリアム・ホールデンとも恋愛関係だった。だが、オードリーは真剣に結婚と子どもを望んでいたのに対し、ホールデンが妻の要求でパイプカットをしていたために、オードリーは彼との別れを選ぶことになった。
ホールデンとの別れの理由はゴシップに聞こえてしまいそうだけれども、オードリーは子どもを持つことを熱烈に願う母性の強い女性だった。しかし可哀想なことに、現在でいう流産を繰り返す不育症であったために、生涯で5度も流産を経験する悲劇に見舞われている。そのため、無事出産できた長男との生活を大事にするため、盲目の女性を演じたスリラー映画『暗くなるまで待って』を最後に、1967年から10年間ものあいだ女優業を引退し、家庭に入る道を選ぶのだ。『暗くなるまで待って』の演技は高く評価され、アカデミー賞主演女優賞にノミネートもされるほど、仕事は順風満帆な時期での決断だった。
最初の夫のメル・ファーラーとは長く不仲が噂されていたが、別居を経て1968年末に正式に離婚した。この別居中にオードリーは、10歳年下のイタリア人精神科医アンドレア・マリオ・ドッティと恋に落ち、1969年1月にスピード再婚をしている。ところが彼は病的な不倫魔で、結婚後に信じられないほど大勢の若い女性との密会現場をパパラッチされた。結局オードリーとアンドレアは離婚に至るが、オードリーにとって二人目となる彼らの子どもの養育をめぐっては、協力的な関係だったようだ。
オードリーは長い引退期間を経たあと、1976年に『ロビンとマリアン』でスクリーンに復帰した。この作品は高い評価を受けることになった。しかしその後の彼女はあまり良い映画には巡り合えず、ユニセフの親善大使の仕事に全力をそそぐようになっていく。彼女は世界中を巡って、飢餓に苦しむ子供たちを救済するための活動に励んだ。目の前で衰弱した子どもたちが亡くなるような、エチオピアやソマリア内戦などの最前線にも足を運ぶようになるのである。それは子どもへの無償の愛を抱き続けた、オードリーらしい晩年だった。
<オススメの作品>
『暗くなるまで待って』(1967年)
『暗くなるまで待って』
監督:テレンス・ヤング
脚本:ロバート・ハワード・カリントン/ジェーン=ハワード・カリントン
出演者:オードリー・ヘプバーン/アラン・アーキン/リチャード・クレンナ/エフレム・ジンバリスト・Jr
オードリーが事故によって盲目となった人妻を演じるスリラー映画。夫が偶然、麻薬を隠した人形を受け取ったために、麻薬を取り戻そうとする3人の悪党によって、夫の留守中に襲われてしまう物語だ。ギャングたちは穏便に人形を手に入れようとし、相手が盲目であるのをいいことに、夫の元戦友や刑事といった作り話によって部屋に入り込む。ほとんどがアパートの一室で繰り広げられるワンシチュエーションスリラーで、悪党たちのでっち上げた話の複雑さが面白い。
『マイ・フェア・レディ』(1964年)
『マイ・フェア・レディ』
監督:ジョージ・キューカー
脚本:アラン・ジェイ・ラーナー
出演者:オードリー・ヘプバーン/レックス・ハリソン/スタンリー・ホロウェイ/ウィルフリッド・ハイド=ホワイト/グラディス・クーパー
じつはちょっと、反面教師的な意味で取り上げさせていただく。歴史的に有名な作品であっても、内容によっては時代錯誤に変じる場合がある。この映画はまさに現代においては、ポリコレ的に問題を抱えてしまった映画だ。
言語学の教授である男性が、友人との賭けによって、下町の下品な少女を社交界で通用する淑女に育て上げようとする。かなり年配の男性が若い女性に対し、モラハラ気味に教養を施すシーンのきつさ。そんな女性が相手の教授に好意を持つとか、そもそも女性の人生を賭けで決めるといった設定は、現在ではとうてい企画会議で通らないであろう。ただ、オードリーの美しさは抜群で、白い瀟洒なドレス姿などには目をみはる。
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