「断片的回顧録ふたたび」
ここに書き起こしておかないと忘れてしまいそうな、日々の可笑しみと哀しみとその間のこと全部
1月2日
去年一年全体的にスケジュール管理をミスってしまい、仕事が重なり過ぎたので、今年はできるだけ余裕をもって一年やっていきたい。ただ、週刊連載のストックがすでに2週先までしかない。余裕、風前の灯火。
1月6日
大塚に旧友を訪ねる。年末年始、結局なんだかんだで仕事をしてしまったので、やっと正月らしい一日を過ごす。友人とは三年ぶりの再会。友人はコロナ禍にマンションを買って、再婚をしていた。前に会ったときはたしか、離婚話がでて悩んでいたはず。三年という月日、恐ろしい。
1月7日
BE:FIRST『GYAO! MILLION BILLION』第一回目がO.A.される。
全部で3回配信されるらしい。事前に送られてきた動画を観て、自分のおじいさんぶりに哀しくなった。毎日のように鏡で見ているはずなのに、こうやって横にLEOくんが並ぶと、いろいろもう限界を超えている。仕方ない。LEOくんと、なにがどうしてここまで友達になれたのか、よくわからなかったが、動画を見直してみたら、なにがなんだかわかった気がした。本当に出会えてよかった。
1月8日
雑煮を食べた(遅い)。
1月11日
『マンガ家・つげ義春と調布』展へ。
今年は二週間に一回くらいは、美術館や映画館、個展などに顔を出そうと思っている。会場は平日なのになかなかの入り。原画や、映画『無能の人』のポスターに写真、つげ義春さんが使用していた絵の具やパレットまで展示してあって、入場無料という大盤振る舞い。Tシャツを買うか悩んでやめた。
1月12日
人は誰もが歳を取る。ただ誰もが大人になれるわけではない。という言葉を噛みしめる一日だった。言いたいことはある。グッとこらえて、ふて寝。
1月14日
J-WAVE『BEFORE DAWN』の収録。
フリーのプロデューサー五箇公貴さんをゲストにお迎えした。五箇さんは、ドラマ『サ道』のプロデューサーでもある。今回は、そんな五箇さんのサウナ愛がぎっしり詰まった一冊、『サイコーサウナ』(文藝春秋)についてのトーク。五箇さんとの付き合いも結構長くなった。最初出会ったのは、『ボクたちはみんな大人になれなかった』をテレビ東京の連ドラにどうだろうか?という趣旨のメールからだったはず。
思えば、あの作品はたくさんの人を僕に会わせくれた。またそんな作品を作りたいなあ、と五箇さんと話しながらずっと考えていた。
1月15日
小説を書かないといけないのに、正直まったく進んでいない。エッセイもぱったり書けなくなっている。電気代の封書を開けると、かなりの金額になっていて、恐れおののく。なんの保証もないまま、四十代が終わりかけている。ノートパソコンもスマートフォンも壊れかけている。我ながら清々しいくらい計画性のない人生になってしまった。
1月16日
雑煮をまた食べた。
1月17日
仕事がまったくうまくいかなかった。ラジオ収録中、あぶら汗がタラタラと止まらなくなり、いつも以上に四苦八苦。すこし慣れたかも、と思っていたのにこの体たらく。リスナーからのメールに「わたしは長生きしたくない」という趣旨のものがあった。僕は長生きしたいと思ったことがない。ただ、いますぐ死にたいとも思ったことがない。社会人のとき、定期券は常に一ヶ月分しか買わなかった。三ヶ月、半年だとゴールが遠すぎて、がんばりが効かない気がして一ヶ月にしていた。刻んで生きていくしかない気がしている。その結果、長かったとしても、短かったとしても、それはそれで仕方がない気がしている。
1月18日
西寺郷太 著『90’s ナインティーズ』を一気読み。
郷太さんに昔、「小説『ボクたちは〜』は、オーディエンス文学だね」と言われたことがあった。当たっていると思った。90年代のあの頃、ビビってロクにライブハウスにも近づけなかった自分がいた。そのときのことを、僕はあの小説(ボクたちはみんな大人になれなかった)に全部書いた。見ていた景色もその先も、交わるわけがない郷太さんに僕はたしかに出会った。最前列で観ていた誰か、二階最上段で観ていた誰か、ステージから眺めていたプレイヤーも、「あの頃、面白かったよなあ」と一緒に懐かしみ、慈しむくらいには時間が経ったんだなあと思った。