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「断片的回顧録ふたたび」

ここに書き起こしておかないと忘れてしまいそうな、日々の可笑しみと哀しみとその間のこと全部

10月04日

渋谷文化村のカフェで、小説の打ち合わせ。アイデアはある。ただ書き切れる気がまったくしない。考えてみると小説『これはただの夏』のときもそうだった。担当の方に、書き切れない自信があります、と途中でメールを送った。エッセイは心身が削られるにしてもまだキリがある。小説は削られると共にガッチリ病んでしまう。睡眠薬も効かなくなるのが、小説を書いている時期の特徴だ(あくまで個人的な話ですが……)。
基本、お金と時間に余裕のあるマダムしかいない渋谷文化村のカフェで、アイデアを箇条書きにした原稿を見せた。担当の方がしばらく黙りこくっていたので、奇声をあげたくなったが、ここは文化香り立つ文化村カフェ。息を止めて我慢した。「では、次はいつ打ち合わせしましょうか」。感想ひとつなく、その言葉だけを言われたので、「あの……、感想とか」と恐るおそる聞いてみた。「いいと思います」。「なら言って!」。コール&レスポンス。ヌルくなったホットティーに口をつける。こうしてまた、ガッサリ削られながらガッチリ病む日常が始まってしまった。

10月09日

知り合いが、今日東京を去ることをツイッターで知った。自分宛にメールもLINEもなかったので、彼とは若干ライトな付き合いだったのかもしれない。それなのに結構寂しい気持ちになっている自分に我ながら驚いた。とりあえず知り合いのツイートに「いいね!」を押してみる。押してみて気づいたが、彼が東京を去ることは全然「いいね!」なことじゃない。かといって、リプライを返すほどの仲でもない。よって、ここは「いいね!」しか選択肢がない。しかしこれでは、「いいね! 早く東京から出ていくがいいね!」みたいな感じに思えてきて、ふたたび考えこむ。仕方がないので一度押した「いいね!」を消し、LINEに短い文章を送ってみた。SNSの「いいね!」ボタンも、「ちがうね!」「悲しいね!」「嬉しいね!」「微妙だね!」くらいのバリエーションがほしい。ザックリした感情で生きてはいるが、それくらのバリエーションは欲している。それにしても彼に送ったそのLINEに、いっこうに既読がつかない。不安だ。「悲しいね!」だ。

10月22日

某アーティストグループの○さんとサシ飲み。○さんは、とにかく僕の小説とエッセイを読み尽くしてくれている。「あのエッセイに書いてあったことを実践して、おとといふらっと旅に出たんです!」と瞳をキラキラさせながら言う。そして、「小説の中に出てきた○○ってキャラクター、あの人は本当にいる人なんですか?」とまたまたキラキラした瞳でこちらに質問をしてくる。「あれはねー、全部作り話かなあ」とか「あーそれも全部作り話かなあ」とか言っている間に、時計を見たら6時間が過ぎていた。僕から見ると、夢を叶えまくって人生に死角なし!という感じの○さんも、夢を叶えまくっているからこその喪失感、自分がしっかりしなきゃいけないんだという責任感で、なかなか大変そうだった。「ウンウン」とか、「それはさー」とか答えていたら、なんだか突然哀しくなって、話しながら説明のつかない涙がこみ上げてきた。「あーごめん……ごめん……」と取り繕おうとしたら、○さんも顔をおしぼりで隠すようにして涙を流してくれた。「いまの気持ちを文章に残しておいたほうがいいかも」と思わず忠告をしてしまった。数年後、彼がいまよりもさらにスケールアップしたとき、きっと悩みもそれ相応にスケールアップしている気がする。そのとき、「いま」の自分の精一杯の文章が、唯一彼を守ってくれるはずだ。だから思わずそんなことを彼に伝えた。彼とは相当偶然の出会いだ。でも、過去形で、あれは運命だったよね、にできたらいいなと思っている。

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ライター紹介

燃え殻
テレビ美術制作会社企画、小説家、エッセイスト
1973年神奈川県横浜市生まれ。都内のテレビ美術制作会社で企画デザインを担当。2017年、『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説デビュー。
2021年3月、書籍『夢に迷って、タクシーを呼んだ』刊行。

【Twitter】 : @Pirate_Radio_
【Instagram】 : @_pirate_radio_
熊谷菜生
タイトルデザイン
岩手県出身。グラフィックデザイナー。主に広告や書籍のAD、デザインなど。
『相談の森』『すべて忘れてしまうから』『夢に迷ってタクシーを呼んだ』(著者:燃え殻)の装丁を担当しています。

【Twitter】:@nao_qm
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