燃え殻「明日をここで待っている」
一日の終わりや、疲れ切った今日を脱ぎ捨てた部屋でぽつりと明日を想うような言葉群
明日をここで待っている 第3回
眠れないときに、コーヒーを飲むのは逆効果のような気がするが、僕にとっては不眠のときの最終手段がコーヒーだ。いつのときからか、コーヒーを飲むと心がわかりやすく鎮静するようになった。僕の友人は、アイスクリーム(ピノ)を寝る前に食べると、質の良い睡眠を取れると豪語していた。昔お世話になったアニメ制作会社の社長は、寝る前に必ずメールチェックをするのが日課だと言っていた。メールをすべて間違いなく返信していることを確認してから寝ると安堵して、深く眠れるらしい。一種の願掛けみたいなものかもしれないが、そういうものは生きていく上であった方がいい気がしている。
デザイナーの友人は先週大きなコンペがあって、一週間前からずっとそのことで、どこか落ち着かないまま過ごしていた。友人はコンペ当日、あまりにストレスフルな状態になり、会社の引き出しの中に忘れたように置いてあったお守りを、スーツの後ろポケットに入れて臨んだらしい。コンペの途中に、そのお守りをギュッと握りしめたのが、我を忘れず冷静になれてよかったと語っていた。ただ、家に帰って後ろポケットに入れていたお守りをよく見たら、交通安全のお守りだったことに気づいて、心の中でずっこけたとも言っていた。気は持ちようというか、信じるものは救われるというか、溺れる者は藁をも掴むのだ。
不眠の原因の一番は「寝ないといけない」と自分で自分を脅迫することだと、どこかの記事で読んだことがある。生きている間、不安はきっとなくならない気がする。というか、そもそも生物にとって、不安は必要不可欠な気もしている。危機意識のない生物なんているはずがない。ぼんやりしていたら、絶滅まっしぐらだ。人もきっと不安がるようにできているのだ。ただ過度な不安は、体調をわかりやすく壊す。不安をうまく飼いならすことが必要なのかもしれない。僕もそれがイマイチ得意でないのだが、不安は当たり前、ままある感情だと、思う訓練をしている。不安で眠れない夜もある。それは今日だったりする。明日、大きな仕事の情報解禁を控えていて、悪目立ちすることが決まっているので、心配で眠れない。いまは午前四時だ。明日は午前九時から打ち合わせだ。
「寝なければ」
それを強く思えば思うほど眠れなくなってしまう。仕方がないので、僕はさっきインスタントのコーヒーを入れて、いまこれを打ち込みながら飲んでいる。ある人がアイスクリームを食べるとよく眠れるように、ある人はそれがメールチェックのように、僕はそれがコーヒーで、さらにはいま思っていることをカタカタと綴ることだということに、最近になってやっと気づいた。不安なのは漠然としているからですよ、と言っていたのは誰だっただろう。本当に忘れてしまったが、いまはそれがよくわかる。不安の正体を突き詰めると恐怖に変わると、聞いたことがある。恐怖に感じることができたら、あとは正しく対処するだけだ。もしくは打つ手をすべてやってみるだけだ。それでダメなら仕方ない。そんなことも生きていればいくらでもある。世の中のすべてが実力勝負じゃない。たまたま風向きがこちら側だった、向こう側だったということもままある。とりあえず今夜はこのあたりで寝てしまおう。ヌルくなったコーヒーを飲み干して、明日のシミュレーションをして、歯を磨いたらベッドで目を瞑ってみることにする。悪夢を見るかもしれないが、それもまた人間ぽいじゃない、と思うことにする。