燃え殻「明日をここで待っている」
一日の終わりや、疲れ切った今日を脱ぎ捨てた部屋でぽつりと明日を想うような言葉群
明日をここで待っている 第2回
「ちょっとこっちおいで」と祖母に呼ばれる。
それは小学校の低学年の夏休みのことだったと思う。家族で、父がたの実家に里帰りをした晩の出来事だ。一杯飲み屋をやっていた祖母が、店を閉めてひと段落したあと、日本酒の熱燗を呑みながら、赤ら顔で僕を呼んだ。着物の上に白い割烹着を着た祖母は、いつになく上機嫌だった。祖母は突然、僕の左足を引っ張ると、足の裏を揉み始めた。僕はなにが始まったのかわからなかったが、とにかく、くすぐったくてゲラゲラ笑いながら、一生懸命逃げようとしていたことを憶えている。
「疲れが取れるだろ?」
祖母が揉みながら聞いてくる。
「ぜんぜん疲れてないよ!」
くすぐったさを凝られながら僕はそう答えた。
そりゃそうだ。こっちは小学生の低学年だ。四十を越えたいまの僕なら、隙あらば「足裏マッサージに行かせてくれ」とあらゆるスタッフに懇願するが、小学校の低学年の頃は、足がだるいという感覚すらなかった気がする。そしてしばらく僕の足を揉んでいた祖母が、「はい、じゃあ交代」と言って、自分が履いていた足袋を脱いで、僕のほうに両足を放り投げた。
なんてことはない、立ち仕事で疲れた祖母が、孫に足を揉んでほしくて、最初にデモンストレーションを見せてくれただけだった。そこからかなりの長い時間、祖母の足の裏を僕は揉まされる。最後のほうは、「もっと土踏まずを強く押して。足裏マッサージがうまいと、良いことあるんだから」と何の根拠もないことを祖母は確信を持って、あの頃よく言っていた。
テレビ番組のロケ仕事をしていたときのことだ。集合時間、午前四時。場所は新宿西口だった。前の日のロケは午前一時までやっていた。そのロケの解散した場所は、新宿西口だった。つまり、ただの三時間休憩だった。スタッフは全員、漫画喫茶や、車中で仮眠を取って、再度、新宿西口に集合した。ワゴン車四台にわかれて、次のロケ場所まで移動する。僕の乗ったワゴン車には、とある国民的女優が乗っていた。彼女もさすがに疲れているようで、大きなあくびをしている。マネージャーさんが、彼女に目薬を渡したり、温かいお茶を飲ませたりしていたが、そのマネージャーさんすらウトウト眠ってしまった。よっぽど暇だったのか、彼女は僕に話しかけてきた。
「この間、手相みてもらったら最悪だったんですよ。仕事運が今年の終わりからガタ落ちらしくて」
「いやあ、絶対忙しいですよ。今年も来年も」
僕はヨイショではなく、本音でそう返した。
「手相とか見れます?」
彼女は僕にそう聞いてくる。
手を握れるチャンスが突然降ってわく。しかしこちらも過労で、フラフラの状態だ。手を握るよりも、とにかく休みたいが優った。
「いやあ、手相はまったくわからないです。昔、足裏マッサージだけは祖母に仕込まれましたが」と会話を切断するために、そう答えた。するとその某国民的女優が意外にも乗ってくる。
「え! そうなんですか?」
そう言いながらもうスニーカーを脱ぎ始め、靴下もスルスル脱いで、僕の太ももの上に素足をポンと置いてきた。
「足の裏、揉み合いっこしません?」
彼女は国民的スマイルでそう言った。周りのスタッフは、仮死状態のように眠っている。次のロケ地に着くまでの間、僕は彼女の足裏をとにかくグイグイ揉み、彼女もまた僕の足裏をグイグイと揉んでくれた。揉むたびに、「う! おっ! きもちいい!」と国民的に正しいかは甚だ疑問なリアクションが、彼女の口から漏れる。僕はグイグイと彼女の足の裏を揉みながら、亡き祖母に最大限の感謝をしていた。