
「雨の夜にだけ会いましょう」
「定期的に集まろうぜ」と言い出した飲み会は二回目が開催されない。
仕事も遊びの約束も、数週間先の予定を詰められるとなんだか心が重くなる。
「もっと雑で、ちょうどいいこと」を求めて、無責任な願望を言葉にしてみるカツセマサヒコの妄想コラム連載です。
第25夜 雨の夜にだけ会いましょう
四月、という文字を見るだけで、どこか焦燥感を覚えたり、寂しげな空気に触れた気がしたりするのは何故なのでしょうか。もう何度も繰り返してきたはずの季節なのに、いまだにその感覚に慣れることはありません。
新たな生活が始まり、たくさんの別れも味わう。そんな時期に、読者の皆さんにも一つお知らせがございます。この連載、ダラダラと二年も続けてきたわけでありますが、実は、今夜が最終話でございます。走り続けた全25夜。ずいぶんとたくさんの妄想を書き散らかしてきたものですが、その旅もいよいよここでひっそりと終わるわけでありますね。
物悲しい気持ちを引き摺りながら夜の新宿の街をトボトボと歩いていると、ふと、以前にも行ったことのある映画館が目に入りました。
そういえば、最近は忙しくて、なかなかレイトショーにも行けてなかったな、と思う頃には、疲れた足を休めるべく、受付でポップコーン(キャラメル/塩のハーフアンドハーフをXLサイズで)とコーラを注文していたのです。
平日、夜22時。しかも作品は、一月初旬に公開されたもの。春を迎えた今になっては、観ようとしている人はほとんどいません。でも、不思議ですけど、映画って流行とかを気にせずに向き合えた作品の方が心に残るよなあ。なんて言い聞かせるようにして、相変わらず最後列のど真ん中に腰掛けると、僕の一つ前の席に、ある女性の姿がありました。
(あれ、あの人、なんか、見たことあるぞ……?)
頭の中で、記憶を遡ります。通りすがりの金持ちが五億円をくれた小洒落たバーに、たまにいた客でしょうか。それとも、支配人が挨拶に来てくれたあのホテルのレストラン? いやいや、AIの世界にいたAI花子か、それともワンルーム餃子パーティにいたあの女子か? もしかして俺のことをベロンベロンに舐め回してきたボルゾイを擬人化した人?
記憶と妄想がスクランブルされていく中、映画が静かに始まって、気が付けばその女性のことも、映画館の外の世界の混乱も、自分の未来も、全てがどうでもいいように思えてきます。圧倒的な没入体験。人は、自分の人生で忙しいはずなのに、どうして映画や漫画、小説の登場人物たちの人生の心配なんかをしてしまうのでしょうか。自分の人生ばっかり見ていたら、とても正気ではいられねえよ、というこの世界の厳しさの裏返しのようなものでしょうか。
映画は時空を歪ませます。あっという間に現実世界では二時間十五分の時間が流れていきました。ぼんやりと照明がつき、んん、と背すじを伸ばして、ほぼ空っぽになったポップコーンXLサイズとコーラの載ったトレイを手に取ったところで、懐かしい違和感が視界に入りました。
一つ前の席に座っていた女性は、両脇の手すりのそれぞれにポップコーンXLサイズを挿入して、そのどちらも一人で完食していたのです。
(……ポップコーンのXLサイズを、二つ、だと?)
これは只者じゃない、と思いつつ、しかし、その独特な食べっぷりで、ようやく思い出したのです。
この人、まさか二年前のこの連載の第一話で、2億円の案件を飛ばして上司から死ぬほど怒られて、ストレス発散目的で映画館に来てポップコーンとホットドッグを平らげた人ではないか……?
頭の中で思い返してみると、もはやそうとしか思えず、気付けば僕は、女性に声をかけていました。
「あのすみません」
「はい?」
「違ったら申し訳ないんですけど」
「ええ」
「過去に、2億の案件を飛ばしたことはありませんか?」
3億円事件の犯人に尋ねるときしか使わないような挨拶。かなり不審なものを見たような顔をした後、女性は徐々に記憶を二年前まで遡らせて、再び僕に、焦点を合わせました。
「え、もしかしてあの、同じこの映画館の、帰りのエレベーターで話した……?」
「わ、そうです! すごい、よく覚えてましたね。嬉しいです」
「わー、すごい。え、こんなことって、あるんですね」
一瞬、戸惑った様子を見せながら、それでも確実に、彼女のテンションが上がっていくのがこちらからもわかりました。
「前もレイトショーでしたけど、いつも、見てるんですか?」
「あ、僕は、たまたまで。ちょうど、あの二年前以来です」
「えーそうなんですか! じゃあかなりレアですね」
「いやー本当にそうですよね。え、いつも来てるんですか?」
「ああ、そうなんです、仕事をやらかすと、つい」
「お、では今回も、やらかしたんですか」
「あー、そうですね。6億円を、誤って別の会社に送金してしまって」
会社が秒で潰れるぞ? と口元まで出かかりましたが、大人ですのでぐっと堪えて苦笑いします。何より、同じ映画館で二年越しの再会なんて、まるで妄想でしか起こり得ない奇跡みたいじゃないですか。まあ本当に全て妄想だから起こり得ているんですけど。
「あの、よかったら、連絡先とか、交換しませんか?」
この奇跡に便乗して、ちゃっかり連絡先を尋ねてみる。妄想上の僕は、そういうしたたかさを持っています。
「あー、いや」
「えっ?」
ダメなパターンってあるんだ? と思っていると、彼女は救いを求めるように、空を見上げて、言いました。
「たとえばですけど」
「はい」
「雨の夜にだけ会う、っていうのはどうですか?」
「え……?」
なんすか、それ。なんか、すげーオシャレじゃないすか。なんか、コラム連載のタイトルとかに、ありそうじゃないっすか!
興奮する僕をよそに、雲は、先ほどより低い位置にあって、ちょうど四月の雨が降り出してきました。
「ふふ、じゃあ、それでいいですか?」
「いや、でも、それだと全然会える気がしないっすけど。まあでも、なんか、ちょうどいいっていうか、なんか、そんくらい雑な距離感の人がいるっていうのも、悪くない気がしますね」
「でしょう? よかった。じゃあ、決定で」
「ええ、では」
「はい」
僕らは、寂しさが募る四月の雨模様の下で、声を揃えて言うのです。
「雨の夜にだけ会いましょう」
このくらい。このくらい雑でなんだかよくわからない出来事が、来世あたりで起こりますように。
二年間、妄想にお付き合いいただき、ありがとうございました!
