
ちょっと気楽になった夜
お悩み相談の痛快なアドバイスが人気。
人生の格言で多くの人の心を動かすDJあおいが
あなたの夜をちょっと気楽にします。
自分らしさがわからないのは、自分らしさを捨てたから
自分が思う『自分らしさ』って、リアルな自分ではなく『自分はこうありたい』という自分の理想像ですよね。
『たとえ不利益になるようなことでも正直に生きていきたい』とか
『困っている人がいたら手を差し伸べてあげる自分でありたい』とか
『どんなに気の合う仲間であろうと間違っていることは「それは違う」と言える自分でありたい』とか
価値観や信念のようなものを『自分らしさ』という言葉に置き換えて、その自分らしさに従って自分で自分を育てているわけです。
しかしリアルな自分はその日のご機嫌によって強くなったり弱くなったりと一貫してくれません。
ついつい自分の利益のために嘘をついてしまったり、困っている人をスルーしてしまったり、同調圧力に負けて自分よりも和を重んじてしまったりと、なかなか『自分らしく』というわけにはいきませんよね。
自分が思う自分らしさを裏切る度に罪悪感に襲われて、リアルな自分に嫌気が差してしまうという繰り返し。
反省しては裏切り、そしてまた反省しては裏切りという負の円環。
今まで生きてきた中で、最も自分を裏切ったのは自分自身だと言っても過言ではないかと思います。
その裏切りの連鎖にすっかり疲れてしまうと、『自分はこうありたい』という自分の理想像を消してしまうんですよね。
理想となる『自分らしさ』を頭の中から削除してしまえば、もう自分で自分を裏切ることもなくなるし、反省することも罪悪感に苛まれることもなくなり、どんな自分も肯定できるお気楽人生になるんです。
そんな人たちが口を揃えて言う台詞が『自分らしさがわからない』という言葉なのですが、自分自身で自分らしさを捨てたわけですから、わからないのは当たり前なんですよね。
『自分はこうありたい』という人生の指針を失い、目的地のない漂流の旅を続けなければならないのですから、楽なのかもしれませんがその代償として虚しいだけの時間を浪費しなければならなくなってしまったのです。
人はどこまでいっても不完全な生き物ですから、もしかしたら生涯なりたい自分にはなれないのかもしれません。
しかし、それでも『自分はこうありたい』という自分が思い描く自分らしさを失ってはいけません。
本当の自分らしさとは『何に傷つき何を憂うか』という部分にあり、弱い自分に負けてしまったときにこそ、自分の価値観や信念が浮き彫りになるのですから、性懲りも無く何度も何度も自分自身を裏切り、その度に傷つき憂いていればいいのです。
それが自分らしく生きるということだと私は思います。
価値観や信念という『自分らしさ』を持っているだけで立派。
迷いが生じたら『自分はこうありたい』という理想の自分像を刷新した方がいいのかもしれませんね。
