「夜読む日記」
人生の意味とは何か
早いもので来月子供が3歳になる。
どこにも書いたことがないし、誰にも言ったことがなかったが、子供を産んだ日私は子供に申し訳なくて病室で号泣した。
マタニティーブルーというやつだ。ホルモンバランスが乱れていたようで子供に対してとにかく申し訳なくて申し訳なくてたまらなかった。
当時32歳、年齢のこと、お金のこと、仕事のこと、それはもういろんなことを考えてもうけた子供であった。
しかしながら子供はそんなこと知ったこっちゃない。
「もしも生まれてきたこと自体が嫌だったらどうしよう」とか「辛い目に遭ってしまったらどうしよう」とか「どうせ人間って死ぬのに私って何をやっているんだろう」みたいな事がグルグルと頭を巡り、命を産むということはなんと責任の重いことなのだろうと泣き散らかした。ダハハ。
この「申し訳ないマタニティブルー」自体は1ヶ月ぐらいで終わってしまったが、それでも頭の片隅に「そもそも生まれて死ぬ意味ってなんだろう」という疑問だけが残り続けていた。
せっかく私達に付き合って生まれてきてくれた命なのだ。
「親として教える」みたいな大層なことではないが、これからこの人が生きていく上で、前向きな「生きる意味」を教えてあげたい。何か嫌な事があっても心の中にきらりと潜む宝石のようなヒントを持たせてあげたい。そう思って日々思考をぐるぐる巡らせていた。
⚫︎人生に本当に必要なものは何か
そもそも私は人生に対してあまり希望を持っていなかった。夢もない。こう書くとギャグのようであるが。
自分が生きている意味って多分別になくて、地球のサイクルのひとつなんだなという解釈をしていた。だから人生に深い意味は特になくて、自分という存在も地球から見るとさして重要ではない。
この考え故に私は自己肯定感が極端に低かった。
この「夢や希望がない」に私はたびたび難儀な思いをしている。
自分を支えるしっかりとした軸がないのでちょっとしたことで深く落ち込んだり傷ついたりしてしまうのだ。
これはよくない。全然ハッピーじゃないではないか。
「自分で自分をしっかり支えられるようになる」「他人の顔色をある程度気にしないように生きていく」
幸福度の高い人生を送ることに必要な要素ってそういう「ちょっと自分勝手でいられる自分を許す」ことなのではないだろうか。
そして自分軸で生きる為に必要な心のパズルのピースが夢や希望なのだと思ったのである。
⚫︎夢や希望
私のいう夢や希望というのは、例えば半年後の旅行の予定、好きなアイドルのライブ、博物館や遊園地に行くこと、楽しみな漫画の連載…そういう「夢中になれるもの」を見つけることだ。
自分の中の何かが折れても、好きな事さえあればそれがまた自分を支えてくれる。
親の役目というのは色々あると思うし、子育てなんて人それぞれであるが、私は「好きなものを作ることをそっと手助けをしてあげる事」が私が子供にしてやれる一番の役割なのではないかと感じた。
⚫︎2歳の子供
息子は現在2歳10ヶ月で、いろんなものや事が気になっているようだ。
歌、踊り、魚、虫取り、石集め、お祭り、太鼓、太陽の塔…
好きなものを見つけて熱中するということは、心の支えが増えるということだ。
そうしてたくさんのものやことにどんどん触れていき、息子の心は軸を持ってしっかりと立ち上がるのだろう。
好きなものが増えるたびに、私と息子の生物としての距離は開いていく。それはとても自然で尊く誇らしいことだと感じる。
自立というのはそういうことではないかと思うのだ。
⚫︎自分自身に生きる意味を作ってあげる
動物が生まれて死んでいく意味って、外野から見たら自然のサイクル以上の意味はないのかもしれない。
だが、人生は自分が主役ということ
自分が生きる意味は自分で決めていいこと
私自身その二つの気づきだけは大事にしていきたいなと思っている。
限られた時間をできるだけハッピーなものにしていきたい。絶望の付け入る隙はできるだけないように楽しいことで埋めていくのだ。心の中を。
人生はそれを探す旅。それが私の出した生きる意味の答えだ。
いつか息子が生きる意味を知りたくなった時、私はこう思うよと教えてあげよう。
真に受けなくてもいいし自分なりの解釈を持てるならそれでいい。
でもこういう考えもいいんじゃない?って心の中にひっそりと置いておいてほしいなと思うのであった。



