
「夜読む日記」
何かを持っているからって不幸になっちゃいけないわけじゃない
先日、アップしたイラストに「子供がいるんだからもうこういう絵を描くのやめたらどうですか」的なコメントをいただいてしまった。
そのコメントを見たときに「しばらく活動に対するコンセプトを提示できていなかったかもしれないな」と思った。
ので、今日はなぜ私が珍妙なイラストを描き続けているかを説明したいと思う。
私がメインで描いているイラストは、一言でいうとまあ…明るくはない。
基本的にカラフルな色彩で描かれた女の子が涙を流していて、その横にある吹き出しには嫌味だったり、悲しかった事とか、嫉妬とか。そういうセリフが添えられている。
そういうイラストをもうかれこれ15年ぐらいは描き続けている。15年…自分でもめちゃくちゃしつこくやっているなあと思う。
●恋愛でケチョンケチョン
さて、このイラスト。最初こそどこにでもよくある失恋から生まれたものである。
当時メンズから多々ケチョンケチョンにされる機会をいただいていた私は、とにかく泣いて泣いて泣きまくり、どうにかこの辛さを有効活用したいと思っていた。
だって泣いてるだけだったら負けたみたいじゃん!悔しい!絶対にただ傷つくだけで済ませたくなかった。
「心の痛みで体の痛みが麻痺するんじゃないか?」という説を立てて親知らずを抜きまくり、いろんな人々に愚痴を聞いてもらいまくったりして、少しずつではあるが気持ちを発散させていた。
それでもどうしても悔しさが沸き上がる。「なぜメンズたちは私の事をケチョンケチョンに扱ったのか…?」考えれば考えるほど憎しみが腹の中でグルグルする。
そしてふと、高校生の時に家庭科で習った「昇華」を思い出したのだ。
●昇華
昇華とはネガティブな感情を芸術に置き換えるストレスの発散方法の事だ。思い立ったが吉日。私はものすごいスピードで悲しくてドロドロした気持ちを一枚のイラストにしたためた。
そして折角したためたので…という気持ちでその絵をツイッターにアップしたところ、たくさんの共感の声をいただいた。
嬉しかった。それはもう嬉しかった。
何が嬉しかったかって「こんなにドロドロしたことを考えていたのは私だけじゃないんだ!」と知れたことだ。
失恋とは別に、ずっとずっと「自分ってなんて汚い感情を持っているんだろう」と悩んでいた。
グルグルするたびに自分自身がどんどん汚く醜くなっていくような気がしていた。
しかしそれは決しておかしな事ではない。みんな同じような気持ちを持っていて、日常生活ではその苦しい気持ちとか悲しい気持ち、ドロドロした気持ちを見せないようにいてくれているのだ。
それを理解した瞬間の、あの驚きといったらなかった。(よく考えると当たり前のことかもしれないけど、当時は本当に衝撃だった。)
そして同時に、この世にはなんてたくさんの優しさが隠れたままになっているのだろうと思った。
みんな傷つきながら、グルグルした気持ちを持ちながら何気ない顔で生活をしているのだ。
どんな人だって誰だってそうなのだ。衝撃であった。
お金持ちだって、顔のかわいい子だって、成功していても、彼氏がいても、結婚していても、子供がいても。
明るく見えたり幸せそうな人だって、きっと何かを抱えて生きているのだ。
その何かに寄り添うような絵を描いてみたいなと思った。
●ドロドロを描く
当時、インターネットで流行っていたイラストはかわいい系だったり、カップルや夫婦の幸せな一コマを切り取ったイラストたちで、それってめちゃくちゃ素敵だと思っていた。華やかだし、ウキウキドキドキワクワクする。
反対に暗い絵をアップしている人って本当に本当に少なかった。
当時は病みかわいいとか地雷とかそういう言葉もなくて、でもだからこそ「そういう絵だってあっていいじゃん」と思ったのである。
飛び切り奇天烈な色遣いで、飛び切りドロドロな感情を描く。
SNSをスクロールした時に、私の事を知らない誰かが「なんだこれ」って思って手を止めてくれますように。そしてあわよくば、ちょっぴりだけでも「これって私だけじゃないんだ」って思ってくれますように。
普段はかわいかったり幸せなものに包まれている人たちだって、もしかしたらこういう絵を見たくなる瞬間があるかもしれないから。
当時「私はこれを描くために産まれてきたのかもしれない」と思ったことをよく覚えている、
優しい人たちのいざという時にだけ見る絆創膏みたいな絵を描いていきたいとおもったのある。
●自分の変化、それでも描き続けていくということ。
15年。
同じようなイラストを描き続けて自分のライフステージにも幾分か変化があった。
フリーターからイラストレーターになったり、単純に年齢が上がったり、結婚したり、子供が産まれたり。
以前にも同じようなことを書いたと思うが、そのたびに「○○を持っているくせに不幸ぶっている」という意見をいただくことがある。
しかしながらどんな境遇にいて、どんな年齢になっても変わらぬ悩みがあり、それを表現することによってホッとする人たちだっているのではないかなと思うのだ。
そういう「誰にも見つからずに泣いている優しい人たち」に向けてずっと絵を描いていけたらなと思っている。
