
「夜読む日記」
「避けられない出来事を受け入れる」
まだ誰にも何も起こっていないのに、自分で未来を想像しまくって「失敗しそうだなー」「嫌われてるかもなー」って思っちゃう時ないですか。
私はメチャクチャあります。
たとえば、送ったLINEの返事がちょっと遅いだけで、「あの言い方やっぱりまずかったかな…」って勝手に落ち込んだり。
相手はただ寝てただけとか、ぜんぜん気にしていないことだってザラなのに、起こってもいない事実に1人で反省会を開いてしまったりね、しちゃうんですよ。
未来に起きるかもしれない小さな不快感を先取りして、ひとりで予防線を張って勝手にヘトヘトになってしまう。
これはよくないなーなんて思って、どうにか改善しようと思っていたが、思考の癖って体の癖と同じで自分の意思だけではなんともならなかったりする。
⚫死が怖かった子供時代
私はそもそもマイナス思考で超ビビり。
おそらく祖父の死が原因なのだが、幼稚園の頃に「死」という概念を知り、それはもう震え上がった。
死ぬってなんなんだろう。母は霊とか天使とかを結構信じているタイプで「死んだら天国に行って天使になるんだよ」とかなんとか言ってくれていたのだが、私は生きていて今まで天使を見たことも幽霊にあったことも一度もない。
おじいちゃんは死んで、動かなくなって体を燃やされてしまった。
それがいつか自分に起こるんだと想像すると、それはもうとんでもない恐怖なのであった。
大袈裟ではなく幼稚園の頃から20代まで、起きている時間の大半「死、怖すぎる。」という気持ちで生きていた。
死んだら何になってしまうんだろう。霊だったらまだいいが、冷静に考えると自分という存在がただこの世から消えてしまうだけなんじゃないか。死んだ後は「無」なんじゃないか…?そう考えるのが自然じゃないのか…?
なんて答えもない堂々巡りを繰り返していた。
無になるぐらいなら不老不死になりたい!お化けだってゾンビだっていたらいいじゃん!存在してくれ!!
⚫怖がらないということ
私は度々、死という逃れることは不可能な未来がみんな怖くないのかなと思って、友達や家族に相談していた。
答えは様々「お化けはいると思うよ」「信仰しているものがあるよ」「不老不死になる方が怖いんじゃない?」
みんなそれとなく死を受け入れている感じの答えを出していてそれもまた恐怖を増長させる要因であった。
みんな怖くないの!?なんで!体が燃やされちゃうんだよ!!
ああ~なんとなく死を避けられないのはわかったけど、せめて私の亡骸は冷凍保存してくれ~!脳だけでもいい!わたしゃずっと生き続けてずっとずっと未来を見てみたいんだよ~!
そんな中、自分の価値観を一変させる出来事が訪れる。
それが妊娠である。
⚫出産めっちゃ怖い
若い頃から死と同等に恐れていたもの、それが出産だ。
鼻からスイカ、ダンプカーでお腹を轢かれる感じ、どの例えも知らない痛みすぎて文字で読んでいてもちょっと理解できない。
子供は小さいときからずっとほしいと思っていたけれど産むのは怖い。
どうにか魚みたいに小さな卵で産むか、タツノオトシゴみたいに旦那の腹に産みつけられないかな…カンガルーとかパンダみたいにめちゃめちゃ小さい状態でもいい…
しかし十月十日、毎日くる日もくる日も出産について考えているうちに「最終的に切って生み出すか下から生み出すかしかないんだな…」と、なんだか変な覚悟が決まり始めたのである。
そう、考えまくったって結末は決まっているのだ。
ならば恐怖ばかりをみていないで、今できる今だけの楽しいことをして時間を潰すべきなんじゃないか。
絵を描くのが好きだから絵を描くべきだし、友達にだって会っておかなくちゃ。
まだ起こっていない痛みを想像して痛がっていたって仕方ないのだ。
⚫ 出産は自分にとって
実際に子供を産む時、4日間かけたメチャクチャな難産であったが、それでもなんとかなった。
思い返せば今までビビりまくってきたものたちって、過ぎ去ってしまえば割と全部なんとかなったのだ。だから私は今ここに立っている。
きっと私が恐れていることなんて、大概が「案外大したことなかった」なのだろう。
起こる予定の不安だったり、覗き見ることのできない他人の気持ちを想像して恐怖をただ膨らませることって、今ここにあるものをきちんと見ることができていないんだろうな。
「幸せ」とか「面白い」って案外ゴロゴロ足元に落ちているのに。
出産は自分にとって、命を産み落とすのと同時に死やその他の避けられない出来事を受け入れるための行為だったのではないか、と思う。
まだ起きてないことは、起きてから考えればいい。
…と、そんなふうに思えたら少しだけ自分の人生を生きやすくなった。
恐怖を避けるのではなく、恐怖はこの世の中に当然あるものとしてそこに存在しておいてもらう。
幸せや楽しいことがあるように、怒りとか怖いとか悲しいとか恐怖とか、そういうものって当たり前に存在する。別に全然特別じゃない。そしてそれと対峙する日は必ずやってくる。
痛みや恐怖や失敗や死…対峙したくないものはいろいろあるけれど、それはやってきた時に「お、いたんだ。で、ここからどうする?」って受け入れるぐらいがちょうどいいんじゃないかな、なんて34歳の私はそう思っている。
