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「夜読む日記」

小学生の頃、私は友達が少なく、また根がかなり暗かったため絵にかいたように浮かない学生生活を送っていた。
友達はいるにはいたのだが、まわりでは皆、親友などという特別なポジションを作り、なんだかコソコソ楽しそう。
何の話してるの〜?なんて深入りする勇気もなかった私は、ただ皆の傍でニコニコと、さも「わかってる!私はあなたたちの仲間ですよ!!」みたいな顔をしていた。

誰とも仲たがいしていない代わりに誰の特別でもない。
なんだかフワフワとクラゲのような気分で、私は毎日クラスの中を漂っていた。
いじめられてはいないけど、クラスの班決めではいつも緊張。私、選んでもらえるかしら。

特別な夢もなくて、特別な趣味もなくて、特に好きな事とかもない。好きな男子なんて当然いない。
テレビにもあんまり興味がなくて、皆「モー娘。では誰が好き?」とか「剛派?光一派?」「チョコビ派?ブラビ派?」みたいな話をしているけど、私は相変わらずアニメばっかり見ていた。おジャ魔女どれみ大好き!カードキャプターさくらも大好き!犬夜叉でしょ、ポケモンでしょ、なんか今度始まった東京ミュウミュウって漫画も面白いでしょ…なんてアニメや漫画ばっかり見ていたら、みんなの話についていけなくなっちゃった!
皆ついこの間までポケモンの話とかしてたじゃん!!どうして~!?

なんだかみんな大人になって、みんないつの間にか私の知らない生き物になってしまった感じがして、勝手にめちゃくちゃ委縮していた。
私はというと、道端の蟻にお菓子をあげて行列を作らせてそれを見守ったり、花壇で土を掘ってミミズとかナメクジとかを観察したり、雑草にくっついてる種をちぎって乾燥させて家のプランターに撒いてみたり、なんかそういうのが楽しかった。

中学に上がっても私は相変わらず。
同級生は皆部活とか恋とか音楽とかオシャレとかに目覚めて、キラキラしていた。
アイドルは嵐とかが流行ってるんだって。
優しいギャルに「原田も好きなアイドルいるの?」って聞かれて、いないよって答えるのもなんだか恥ずかしくって、友達が持っている雑誌に載っていた山Pを指さしたら、そのギャル毎日学校に来るたびに山Pの切り抜きをくれて、ちょっと嬉しかった。その子の事好きだったな。
同い年だけど全員お姉さんに見えたし、しっかりしてるな~って思ってずっと感心していた。

何で私は皆と同じものを好きじゃないんだろう。
いいなあ皆キラキラしていて。
彼氏とか、全然興味ないけどいなくちゃダメなのかなとか、お化粧もできなくちゃダメなのかなとか。
女の子らしいものにも特に興味がなかった。
お料理も作らないし、家事もぜ~んぜん好きじゃない。
この頃私の家は家族仲が最悪で家に帰っても誰も話さなくてつまらないし、みんな不機嫌だし、遂にはお父さんも家から出て行ってしまって、いや~!どうしたもんかね!
でも私にとって「家庭」って自分の家しか見たことがなかったから、みんなも家の中ってつまらなくて暗い雰囲気なんだろうな~って、のん気に考えていた。
絵を描く事は好きだったけど、親に成績が悪いから描くなって言われてついでに漫画も捨てられちゃって、人生がいよいよつまらなくなっちゃって絶望。

私ってなんだかみんなと違う気がする。
それって特別な意味での、「キラキラした皆と違う」ではなくって、「間抜けな意味で皆と違う」。
親友はいない。恋もできない。オシャレも無頓着。あ、別に将来の夢とかもないです。
皆の持っているものを何一つ持っていなくて自分だけ置いて行かれているみたいで怖かったなあ。世界の流れに一人だけついていけていない気がしていた。
自分はぜんぜんなりたくないのにボーっとしていたらどんどん大人になってしまう。

そんな中でも趣味があって、それがインターネット通信だった。
うちは90年代後半からもうすでに家にパソコンがあって、ネットができた。多分ちょっと珍しい方だと思う。
私は確か小学校4年とか5年生で、すぐにインターネットの虜になって、それから家ではもうずっとパソコンでお絵かき。お母さんは機械に疎くて絵を描いてても見つからないから。
で、中学に上がる頃、日記サイトっていうのがネット上で密かに流行っていた。
ブログってサービスができる前後ぐらいだったと思う。
私の見つけたサイトは「自殺未遂日記」という不穏なタイトルで、タイトルの通り管理人さんは生きづらさを抱えている人だった。
ただ、そんな日々を面白おかしく、時には大きな文字で、時には文字の色をカラフルに変えたりなんかして、「今日も失敗した!」「また入院することになっちゃった!」とガハハと笑い飛ばし、自分の生きづらさをポップに彩っていた。
その面白いこと面白いこと。お腹を抱えてゲラゲラ笑ったなあ。

もう衝撃。
憂鬱なことってポップに言い換えてもいいんだ!って思った。
昔のサイトには掲示板ってシステムがあって、今でいうツイッターみたいな感じなんだけど、そのサイトに来た人同士が交流できる場所なんだよね。
みんなそれぞれの生きづらさ発表会みたいなことをしていて、でもみんなそれぞれ自分の経験に面白さっていうフィルターをかけていた。
ほとんどが自分より3~5歳ぐらい年上の人で、自分の身に起きた不幸を本当に面白く語ってみんなでゲラゲラ笑いあっていた。
当時の3歳差ってでっかくて「この人こんなに年上なのに私と同じ生きづらさを抱えているんだなあ」って安心した。大人ってみんな何があっても平気なんだと思っていたから。

で、あまりにそれが面白くて、私はそのサイトの掲示板に張り付いて毎日書き込みをして、ついでに管理人さんに憧れてブログも作っちゃった。
サイトにいた人たちもみんなブログか日記サイトを持ってて、私も含めて毎日何度も更新していた。
親とうまくいかないよとか、学校に上手くなじめないよとか、いじめられているとか。
でも文字にしたとたん魔法みたいにみんなの憂鬱が明るくなる。

私たちの抱えている憂鬱って、裏側から透かして見るとこんなにも面白い形をしてるんだな~。
歪んでいたかもしれないけれど、私たちはそうやって自分の人生を面白おかしく飾り立てて生きる方向に向かわせていたんだと思う。

高校生になって、社会人になって、ブログも20歳ぐらいまではやってたんだけど、徐々に更新頻度は減っていって、そこにいた人たちもなんとなく散り散りになった。
きっと私たちはちょっとずつ大丈夫になっていったのだ。
あんなに苦しかった「他人の持っているものを自分は持っていない」という劣等感は、大人になって視野が広がるにつれて「まあそういう人生もありますわな」と心の隅に置いておけるようになった。

恋人がいないから行ける場所があったり、家族仲が悪いから見えた景色だってあった。趣味が人と違ったから、みんなの知らないところに私だけが面白いと思えることがある。
損してるなって思った事って、実は後から見てみると得している事の方が多いのかも。その瞬間は「勘弁してよ~」って思うけどさ。
チャップリンの言葉に「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」という言葉がある。
どうしても辛いことがあったって、その出来事はいつかは絶対遠くの思い出になるよ。
不格好でも自分の周りにある理不尽を飾り付けてガハハと笑い飛ばし続けたい。大丈夫になる日まで。

何にも持っていない気がしていても、私も、あの掲示板にいた人たちも、いろいろなものを持っていたよ。今ならわかる。
大丈夫、大丈夫。私たちは明日もきっと大丈夫だ。

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ライター紹介

原田ちあき
イラストレーター・漫画家・京都芸術大学非常勤講師
誰の心の中にもある、鬱屈とした気持ちをカラフルに描く。

国内外問わず展示やイベントを行い、イラストの枠に収まらずコラボカフェ、アパレルデザイン、映画出演、コラムの執筆、コピーライター、バンドへのゲストボーカルなど活動は多岐にわたる。
誰かに喜んでもらえるなら何でもやりたい。

【連載】
「やはり猫にはかなわない」ソニーミュージック es
「原田ちあきの人生劇場」LINE charmmy
「しぶとい女」大和書房

【著書】
「誰にも見つからずに泣いてる君は優しい」大和書房
「おおげんか」シカク出版
「原田ちあきの挙動不審日記」祥伝社 等

【official】https://cchhiiaakkii8.wixsite.com/chiaki
【blog】http://cchhiiaakkii8.blog.jp
【Instagram】cchhiiaakkii9
【Twitter】@cchhiiaakkii
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