散歩 this way -11-
得難い世界観で溢れる音と歌詞が、音楽ファンから注目を集めているシンガーソングライター/詩人の柴田聡子が綴るエッセイ。
テーマは趣味であるという「散歩」。本人が実際に撮影した写真とともにお楽しみください。
「散歩、危うし」
3月、散歩できず!
先月、春の兆しを感じながら散歩する気持ちよさを晴れ晴れと書いてからすぐ、花粉症が私のなかで大暴れ。幼少期からふとした時になにかとアレルギー反応を示してしまう体質で、この頃は年中いろいろな花粉が飛ぶのもあって、常日頃アレルギーの薬を飲んでいる。一年の中でも特にひどいのはスギ花粉への反応で、春はひやひや過ごす。しかし薬を飲んでいるせいなのか、ここ数年は春先、スギ花粉が飛び始める時期になってもちょっと状態が悪くなるくらいで済んでいたので今年もきっとそうだろうとたかをくくっていた。
今年はきました。毎年のちがいってやっぱりあるんですね。あれ、もしかして風邪?とのどのあたりに違和感を覚えたところから先、アレルギー症状のオンパレード。まるで大祭の神輿のようだった。のど・鼻・目・というかからだじゅう、ぜんぶをワッショイワッショイ盛大に賑やかして、今はひっそりとして呆然としている。名残の鼻みずをすする。やはり久々に体感すると超辛いな。
ちょうど歌の録音がいくつかあった時期で、なんとか回復しようとかかりつけの病院へ駆け込む日々。なんとか歌わないといけなくて、というあまり取り扱わなそうな相談にも冷静に最短距離で応じてくれることにいつも救われる。行きつけの薬局の方々も連日幾度となくやってくる者にもやさしく接してくれて感謝しかなかった。私は医療に救われすぎていて、いつかなんとかなにかしらで恩返しをしたい。同じことを眼鏡にも思う。眼鏡がなかったらどうなっていただろう。眼鏡にも恩返しをしたい。
そういう状態だったので、3月はほぼ散歩はおあずけ。前述のように、花粉症の時期であっても薬がいい感じに効いていると、多少は症状が出るにしてもそれほど苦ではないので気にせず散歩していたから、散歩おあずけはいったいいつ以来だろう。犬の気持ちがわかる。散歩に行けないと辛いよなあ。昔いっしょに暮らしていたあの犬ともっと散歩に行けばよかった。申し訳ないことをした。あの世かどこかで会えたら謝りたい。あの世かどこかであればもしかしたら言葉で話せたりするかもしれないし。いろいろ聞いてみたい。
話は戻って、朝起きたら散歩に出かける生活をしていたから、生活リズムが訳がわからなくなり困った。散歩に出かけないのであればすぐに朝食ということになってしまうのだが、なんだか早すぎる。すぐすぎるというか。ごはんの香りに包まれるにはあと10分くらい欲しいと思ってしまう。その10分を過ごすために掃除をしたり顔を洗っていたりすると朝食のことを忘れたりして、調子が狂ってなぜか30分経っていたりと、時空が歪む感じ。
この10分をなんとかするために味噌汁を作ることにしていた。ここのところ、ひとりぐらしの味噌汁は結局のところフリーズドライという最高の技術に支えられたインスタントを活用するのが一番の選択肢なのではと思い至ってしばらくいろいろなフリーズドライ味噌汁を試していた。ところが、おなじくひとりぐらしのように過ごしている友人から、「顆粒のだしに味噌を溶いてごまを振って飲んでいます。どこかへ出掛けたらその場所の味噌を買ってそうやって食べています」という一見当たり前にも思えることになぜかとても衝撃を受けてしまった。私は当たり前のことを知るのがほんとうに面白くて大好き。この言葉のおかげで私もそういう一杯の味噌汁を作るところから始め、いまでは3杯くらい作って冷蔵して段々食べるところまで来てとても幸福を感じている。不幸中の幸いだった。
そうして花粉を避けに避けて過ごしていたある日、とてもいいライブを観た帰りに、あまりにも気分がよかったので、マスクなしで30分くらい夜の青山から渋谷への道を散歩した。ひんやりして気持ちいい。やっぱり散歩は最高。明日の鼻みずどんとこいと、おもいきり空気を吸い込んでぐいぐいと歩いた。



