「夜読む日記」
調子に乗らない生き方。
私は私以外の人の事を全員尊敬している。
高校生になって少ししたころ、私は人生で初めてアルバイトというものをすることになった。
初めてのバイトはスーパーの品出しで「なんか楽って噂を聞いた」というナメた理由で始めた。
入ってみると一人作業ばかりで確かに気楽で、私は黙々と豆腐やら牛乳パックやら、重たいものを倉庫から出しては並べまくった。
ただついこの前まで中学生だった身。仕事というものをナメ散らかしていた私は、物の場所を積極的に覚えようとせずお客さんの質問を答えられなかったり、商品の積み方が甘く、雪崩を起こしてダメにしてしまったりなど、できる限りのやらかしをそれはもうきっちりやった。
バカだった私は暢気に「みんな簡単そうにしているけど働くって難しいんだなあ~」と思っっていた。
次に働いたのは歯医者で、歯科助手のアルバイトだった。
理由は当時大ファンだった芸人さんが歯科助手をしていたから。
当たり前だが器具の名前を覚えたり、治療のサポートをすることはとても難しかった。
特に私は暗記が大の苦手で、常に手帳にメモをして持ち歩いていたのだが物覚えが悪く、かなり手際が悪かったと思う。
「憧れの芸人さんとおそろいの仕事」というワクワクとした気持ちより、教えてもらったはずの事がきっちりこなせない気まずさがだんだんと勝ってしまい1年ほどで辞めてしまった。
その次は深夜のパン工場、深夜に起きて作業して朝帰ってきて眠るというリズムが自分にはどうしても合わなくて、ここもすぐに辞めてしまった。
その次は本屋さん。ここでのバイトはゆったりとしていて性に合っていたんだけど、この時私は19歳で、生まれて初めて彼氏ができて、浮かれまくっていた。
浮かれまくった末に「結婚して彼氏の住む3駅先の家に住むことになるかもしれません(^_-)-☆そういう場合って交通費は出るんですか?(^_-)-☆」と店長に報告したところ「ウチ、交通費出せないんだよね(;^ω^)」とあれよあれよと辞める方向に話が進んでしまった。しかもそのあとすぐに彼氏とも別れた。残ったのは虚無だけ。
そう、お察しの通り私はバイトが全く続かない女だったのだ。しかも馬鹿。つまり最悪。
その次に働いたのがホームセンターのレジ打ちで、もうここが本当に、悲しいぐらいに向いていなかった。
元々は品出しでバイトに受かったはずなのだが、初日からなぜかレジ担当になってしまった。
私は計算に自信がなく、焦ると碌な行動に出ない。しかもコミュ力も低い。これがまあレジとの相性最悪で、毎回毎回私がレジに入るたびに何故か売り上げよりもレジに入っているお金がぴったり1万円多いのだ。
レジが初めての私でもわかる。「迷惑」である。
レジの清算を終えた後に経理の人に売上金を見せるともう毎回ブチブチに怒ってる。「お前またか!」っつって。
そばにある段ボールを蹴りまわし、怒鳴りまくる。人生で一番激しく人に怒られた経験だった。
経理の人は悪くない。毎回毎回1万円多くレジに入っていたらそりゃ怒るに決まっている。本当に100%私が悪い。
ここのバイトは申し訳なくていたたまれない気持ちがあふれ出し、2週間ピッタリで辞めてしまった。バイトの最終日の帰り道、情けなくて泣く。「なぜ私はこんなことも出来ないんだろう。」
実際泣きたかったのはお客さんと従業員さんたちだったと思うが、店をこれ以上困らせずに済む英断だったと今でも思っている。
その後私はコールセンターでバイトを始めて、ようやくそこでの仕事が肌に合い3年程働いた。
コールセンターを辞めた後にひょんなことからフリーランスのイラストレーターになりちょうど今年で10年。33歳。ようやく今に至る。
今回なぜこんな碌でもない経歴を書いているかというと、自分にはできないことが世の中にいっぱいあるということを忘れたくないと思ったからだ。
今私はありがたいことに大学でイラストの授業を受け持っていたり、個展をする機会をいただいたり、本を出版している。
こういう活動をさせていただいているお陰で「先生」と呼ばれることが増えた。
ただ、この「先生」という言葉や、33歳という絶妙に誰にも怒られなくなってきた年齢に惑わされてはいけないなあと思ったのだ。
年齢はただの人を識別する為の数字であって、数字が大きくなったからと言って偉くなるわけではない。大人になって身をもって理解した。大人はみんな大人っぽいふりをしているだけなのだ。
20歳になっても30歳になってもいきなり大人になるスイッチがいきなりオンになるわけではない。
一人でなんでもできるようになるわけでもない。
例えば書籍を出版する。
これは私に力があって、実力がモリモリ備わっていて、魔法みたいに「エイヤ!」と書店に並べているわけではない。私の絵を見つけてくれて、評価してくれた人たちがいて、担当さんがいて、出版社があって、デザイナーさんがいて、いろんな人のサポートのお陰で出版という工程にたどり着いているのだ。
私には絵が描けるけど、私にできるとこはそれだけ。
コラムや絵を描いても編集するスキルはないし、予定だって上手く組めないだろう。
絵のほかに何かできないの?と問われても、おいしいご飯を誰かに作って提供する能力もなければ、誰かと連携して仕事を取りまとめることも苦手。
今着ている服だって私には絶対作れない。
この文章を書いているパソコンにくっついてるネジの1つだって作る技術は持っていない。
レジや経理は絶対テンパってできない自信があるし、その他にも保育や介護、人を助ける仕事、ごみの収集…数えればきりがないぐらいの仕事が世の中にあって、それは私には逆立ちしたってできない事ばかりなのだ。
どれだけ「先生」と言ってもらえても、私は一人では何もできない。そのことをいつだって念頭に置いておきたい。
これは自虐ではなく事実だし、絶対に忘れてはいけないことだと思う。
誰かが誰かの仕事や人生を笑ったとしても、私は笑わない人間でありたい。
その人は絶対に私にはできないことをしているからだ。
どれだけ年齢やスキルを重ねて箔がついたとしても、やっぱり謙虚な方がかっこいい。あくまでこれは私の考えだけどさ。
だって人から偉そうにされるより、優しくされた方が何倍も好きになっちゃうから。少なくとも私もそうでありたい。優しくありたいよ。
人と話すとき、遠隔でも現実でも相手に敬意を払って生きていく大人になりたいなあと思っている。
世の中にいる人たちはみんな輝いているのだ。ただその輝きを軽視するか、価値を見出すかは自分の心次第。
気持ちよく生きていきたい。そうすればきっといつか自分にも、他人へ送ったリスペクトがまわりまわって返ってくる気がするのだ。うふふ。
私は私にできない事ができる人たちに今日も敬意を払って生きていきたい。