「断片的回顧録ふたたび」
ここに書き起こしておかないと忘れてしまいそうな、日々の可笑しみと哀しみとその間のこと全部
4月9日
渋谷の円山町にある仕事場からほぼ出ないのに、日記を書くことになった。
朝、喫茶店に行って、昼になると中華料理屋でA定食かB定食かどちらかを選んで食べて、夜は酒をすこし飲む。その間に原稿を書いたり、書けなかったり。基本的にそれだけの日々なのだが、そこにバリエーションをつけて、日記を書いていかなくてはいけなくなった。だってこれは仕事なのだから。
4月10日
会社を売ったという知人がいる。貯金額を聞いたらバカなんじゃないかと思う額だった。知人はバカのようにスニーカーを買い、鈍器のような腕時計を買った。そんな趣味だっけ?と聞いたら「まあ、こういう感じかなと思ってさ。変じゃないべ?」というので、変じゃねえーかなあと思わず本当のことを言ってしまった。知人はお金にも物にも恋愛にも「これだ!」と思うものを人生で見つけたことがないらしい。「どうやったらそういうのって見つかるの?」と子どものように聞いてきた。自慢じゃないが、こちらもその辺に関しては、日々検索にかけているがヒットしない。ネットはなんでも教えてくれるが、検索ワードは自前だ。お金持ちになるとだいたいなんでも手に入るが、何が欲しいかを考えるのは自分自身だ。知人が帰りしな「新庄がしてる時計買おうかなあと思ってさ」と電子タバコを吸いながら言った。
4月11日
同じ桜並木で、一本だけ気合いでまだ咲いている桜の木があった。すげーなあ、と思わず言うと、ネットで日々政治問題で大喧嘩を繰り返している編集者が「ああいう頑固なやつ、学校に絶対いましたよね〜、ヤダヤダ」と桜の木すらディスった。
4月12日
心配事がある。正直、自業自得で自分が恨まれても仕方のないことを過去にやってしまった。それが巡りめぐって戻ってきた。他人から聞いたら、「ざまあみろ」と鼻で笑ってしまいそうな出来事だ。情けないことに、それが自分の身にふりかかると、何も対処できない。酒を飲む気力も湧かず、行こうと思っていたゴールデン街の『出窓』という店のママに、しばらく顔を出せない旨を告げた。ママはしばらく黙ってから、「叩いてホコリも出ないようなヤツは、他にも何も出ないよ」と言ってくれた。その言葉を今日は抱いて寝よう。
4月13日
東京の渋谷円山町の仕事場で一泊してしまった。道玄坂はコロナ禍によってバタバタと潰れた店舗で、歯抜け状態だったのに、新しい店が最近になってこれまたバタバタと建ちはじめた。ウイルスもしつこいが、人間はもっとしつこい。セクシーパブだった店が潰れて、何が出来るのかと思ったらセクシーパブだった。しつこいのだ。
4月14日
いろいろなことを忘れてしまう。人の名前など最近は覚えようとすら思わなくなった。映画を観ても、しばらく経って感想を仲間内で言おうとすると、「あの最後にフラれたと思ったら部屋で待っていたやつ」など、元も子もない状態から話すことになる。そういえば今年は花粉症になることも忘れていた気がする。良いことも悪いことも忘れていくほうが、生きやすいんじゃないかと最近は思っている。