燃え殻「明日をここで待っている」
一日の終わりや、疲れ切った今日を脱ぎ捨てた部屋でぽつりと明日を想うような言葉群
明日をここで待っている 第11回
「月収1000万!!!」という景気のいい文字が躍るラッピングカーが、信号待ちをしている僕の前を横切って行った。
それは渋谷の道玄坂あたりだとまったく珍しくない光景で、その手の水商売関係のラッピングカーは渋谷の街を一日中ぐるぐると回っている。ラッピングカーの後方には「ラクに楽しく稼げます!!!」と太字の殴り書き文字が踊っていた。一時期SNSの中では、「仕事は人生のほとんどの時間を費やします。だから仕事を楽しめないということは人生を楽しめないということです」という呪文がよく流れていた。喉越しがやけにいい言葉だと思った。
「人生の三分の一は睡眠だ。だから質の良い睡眠を取ることは、人生の三分の一を充実させることになる」という言葉に似ている。ちなみにその言葉は、寝具を不当に高く売りつける仕事をしている知人の常套句だ。彼は間違ったことは何も言っていない。間違っているのは値段だけだ。鬼のリボ払いだけだ。
そもそもお金を払ってでも人にやってほしいことが、楽しいだけのわけがない。そう易々とお金をもらえるわけがない。ディズニーランドに入場するときに、ミッキーマウスがお金を配っているという話を聞いたことがない。必ずこちらが払うことになっている。僕はレシートの管理、書類書き、税金の支払いなどが面倒過ぎて、お金を払って人に頼んでいる。あの作業をするくらいならお金で解決したいと心から思ったからだ。
僕は二十代の始め、工場で働いていたことがある。永遠に流れてくるエクレアを八個ずつ箱詰めにする作業。この単純作業を一日十二時間という、清々しいくらいブラックな現場で働いていた。単純作業をやったことのある人ならわかると思うが、あれはやっているうちにだんだん脳がトランス状態に陥る。トランス状態に持ち込めれば、しめたものだ。歯医者の予約や引っ越しの見積もり、法事のために黒いスーツを買うこと、宅配便の再配達の手配。そんな日々の些末なことが、単純作業特有のトランスに陥ると、まったく頭をよぎらなくなる。だんだんと無我の境地に至る。
しかしいくらトランス状態に陥っても、十二時間はやっぱり長い。さすがにドーパミンも切れかかる。そこで、きれいに箱詰めできたら幸運が訪れる、と自分に暗示をかけ始める。あるときは、一時間に箱詰めできた自己記録を自分が超えられたら、「明日、誰かに告白される」と頭の中で暗示をかけて、なんとか十二時間をごまかしていた。
基本、仕事はつまらない。工夫によって、なんとかするしかない。
その工場の最年長のバイトリーダーに「お前、楽しそうに仕事してていいな。天職だな」と言われたことがある。僕はあとにも先にも、天職と人から呼ばれたことは工場の単純作業でしかない。
先日、行きつけのバーの店主が、酒についてしみじみと語っていた。
「酒っていうのは基本的にはマズいんです。それをどう美味しくするかが、面白いところなんですよ」と語っていた。その話を聞きながら、酒の部分を「仕事」に置き換えても「人生」に置き換えてもしっくりくる気がした。わかりやすいビジネス書の常套句に騙されず、「工夫」という地味だが着実なことが、すべての面で大切なような気がしている。