燃え殻「明日をここで待っている」
一日の終わりや、疲れ切った今日を脱ぎ捨てた部屋でぽつりと明日を想うような言葉群
明日をここで待っている 第10回
朗読劇の原作を書いてしまった。
「しまった」という言い方は謙虚とか謙遜とかではない。本当に宛もない原稿を書いたら、それが朗読劇の原作になっていた。これでも、ものを書いて生活しているので、書くものは基本的には行く宛が決まっている。
出版社からの依頼、雑誌の企画、何らかのコラムなど、とにかく依頼があって書いている。たまに疲れて、今日はもう何もできないという日がくる。正直ままある。そんな日でも、すこしは書く(もっと書け)。ある日、そんな何もできないと悟った日に、気分転換も兼ねて昨日見た夢のような物語を書いてしまった。それは久しぶりに行く宛のない原稿だった。
電話をしながらメモ書きをしたことはないだろうか? テキトーな落書きをしながら電話で話しているあの時間が嫌いじゃない。電話を切って、書いていたメモを見ると、自分はだいたいパーマンとかドラえもんらしきものを描いていることが多い。友人はだいたい迷路を描いてしまっているといっていた。そんなことはどうでもいい。久しぶりに制約なく、課題もなく、自由に書いた。その物語は簡単にいえば、東京での仕事や人間関係が嫌になり、いつもと反対側のホームから電車に乗って、湯布院に消えてしまうという話だ。
消えた先の湯布院では、美しい女が待っている。主人公が宿の大浴場につかると、湯けむりの向こうから「カコン」と風呂桶の音がする。目をこらすとそこには美しい女の後ろ姿があった。そんな感じで始まる話だ。ほとんどの時間を渋谷の円山町で過ごす自分への慰安のような物語を書いてしまった。その物語があれよあれよで、TBS主催の朗読劇になってしまう。会場は新国立劇場だ。あれよあれよといったって、そこには血の滲む努力がどうせあったんでしょ?といわれそうだが、本当になかった。トントン拍子を超えた、トン拍子くらいで決まった。
いつか振り返ったら間違いなく、あの頃はツイていた期に僕はいる。配信もされ、コロナ禍真っ只中だというのにお客さんも入れることができた。主演は成田凌さん、黒木華さん。恵まれ過ぎていて、もうそろそろ死ぬのかもしれない。それくらい恵まれている自覚はある。
ただ世の中はやはり絶妙にバランスをとってくる。かなりの量書いた小説が、サクッとボツになった。こっちのほうは入念に仕込んで仕込んで形にしたいと踏ん張ってきたがダメだった。最初はもちろん一冊の単行本にしようと、話し合っていたが、途中からこちらにもあちらにも事情が生まれ、揉めに揉めてダメになった。
血が滲む努力をしてもダメなものはダメになる。その逆で、気分転換に何気なく書いたものが、大きなプロジェクトになったりもする。一つうまくいっても、うまくいかなくなっても、せめてそこに理由や意味を見出そうと試みるが、だいたいの場合はそこにそんなに意味はない。
僕の毎日は再現性のないことで埋め尽くされている。ただそれは、実は誰にとってもそうなのではないか?と密かに思っている。いかんともしがたい「そのときの風」みたいなものがある気がしてならない。個人的には、追い風のときのほうがバランスを崩しやすい。ボツが決定してからのほうが、ちゃんと考えて、より良い原稿になりそうな気配すらする。
謙虚さも反省も最低限は必要だと思うが、正直なところ、だいたいの場合は「そのときの風」なんじゃないかと思う。あまり落ち込まず、あまり驕らずに、風まかせに進めばいい気がしてならない。