燃え殻「明日をここで待っている」
一日の終わりや、疲れ切った今日を脱ぎ捨てた部屋でぽつりと明日を想うような言葉群
明日をここで待っている 第9回
仕事場の近くに小さな映画館がある。平日の午前中、コーヒーをどっかで買って、僕はその映画館によく行く。観たい映画があればラッキーだが、なかったとしても問題はない。平日の午前中の映画館は、まず100%がら空きだ。真ん中よりすこし後ろくらいの席に座って、荷物を置いて上着を脱ぐ。コーヒーをすすって所定の位置に置き、スマートフォンの電源を切る。しばらくすると暗くなって、映画の予告がゆっくりと始まる。その瞬間がなによりも好きだ。
四十代も半ばを越えて、目の下のクマが消えなくなった。予期せぬところにシワができることも増えた。健康ランドに行ったとき、何気なく全裸で鏡の前に立ったら、肉のつき方が老人そのもので正直ゾッとした。後ろ姿も映してみると、背中にポツポツとシミが点在している。うちの家系はシミやホクロができやすい家系だったことを思い出す。テンションが落ちた。そしてさらにテンションが落ちるのが、頭頂部が薄くなってきたことだ。頭頂部だけではない、生え際もガッチリ後退してきているのが哀しいかなわかる。テンションの二番底が抜けた。最近では、もう服を買うのにも力が入らない。何を着たって一緒じゃないか、薄っすらハゲてきているんだからと思ってしまう。
公衆トイレの洗面台で、ずっと前髪をいじっている若者を見ると、前はムカついてたまらなかった。別に変わらないからどいてくれよ、と心の中で思っていた。ただ、いまその光景に出くわすと、なんだか羨ましいし微笑ましいとすら感じてしまう。完全無欠に老いたのだ。
メンズノンノを立ち読みするのが、エロ本を立ち読みするのと同じくらい恥ずかしくなった。もともと円形脱毛症ができやすい体質でもあったので、ハゲには免疫があった(可哀想)。ただ頭頂部や生え際が薄くなるというハゲの中でも本命中の本命になってみると、また違った落ち込み方を味わうことになる。落ち込み方にもコクが出たというかなんというか、濃度濃いめに落ち込んでいる。
ものを書く仕事の一番いいところは、最低限しか人に会わないで済むところだ。ときどき勝手な時間に映画を観に行けるところがいい。
平日の午前中、コーヒーをどっかで買って、僕は映画館に入る。観たい映画があればラッキーだが、なかったとしても問題はない。僕はいつも通り、真ん中よりすこし後ろくらいの席に座って、荷物を置いて上着を脱ぐ。コーヒーをすすって所定の位置に置き、スマートフォンの電源を切る。しばらくすると暗くなって、映画の予告がゆっくりと始まる。その瞬間がなによりも好きだ。自分のみすぼらしい姿を見ることも見られることもない暗闇が好きだ。光の束の中に映される美しい人々、恐ろしい人々、哀しい出来事、幸せな瞬間。自分から切り離された物語と運命に、夢中になるのが好きだ。我を忘れられるものをいくつか持っていないと、生きていくことに嫌気がさしてしまいそうになる。日常をやり過ごすためには、映画館の暗闇の中のような安心感が必要だ。映画館の暗闇の中のような言葉や音楽、パートナー、ひとりの時間。人生に本当に必要ものは、確かな名前の付いていない、そういうあれやこれやな気がしている。