燃え殻「明日をここで待っている」
一日の終わりや、疲れ切った今日を脱ぎ捨てた部屋でぽつりと明日を想うような言葉群
明日をここで待っている 第7回
お香を焚くことに凝っている。
とにかく神経を弛緩させることに心血を注いでいる。さもなくば精神的にかなりデンジャラスなパツパツ期に突入していて持ちそうにない。
自分が書いた小説が映画化された。どう考えても喜ばしいことだが、どうにも浮かれられない。いついかなるときも、浮かれられない病気なのかもしれない。
更に映画に伴う、いままでに味わったことのないプレッシャーに、急性胃腸炎を短い間に二度発症してしまった。基本的に出来上がった映画は自分の手を離れているので、もう自分とは別人格のものとして遠くから手を振ることしかできない。さらに出来上がった映画に文句は何もなかった。森義仁監督には感謝しかない。ただ、映画に伴う対談、取材、ラジオ出演などの一つひとつがずっしりと重い。一つひとつの重力感がハンパない。もちろん信じられないくらいありがたいが、信じられないくらいに緊張を強いるものばかりで気が休まらない。ここ数ヶ月、ほとんど食欲というものを感じない。一つひとつのパブリシティが終わるたび、フルマラソンを走り切ったような体力の消耗、精神の消耗を感じる。
よってここ数ヶ月は仕事が終わると、とにかく道草などせず、早々に帰宅することにしている。家に帰ったら、いつも通り靴下を脱いでパンツの裾をめくり、熱めのシャワーで両くるぶし辺りまでよく洗う。疲れた日は、いつもの倍の時間をかけて、じっくりそれをやる。するとやっと身体に血が巡りはじめるのがわかる。そのあと、間違ってもスマートフォンに触ってはいけない。まずは白湯を飲んで一息つく。そして大きなため息、もとい深呼吸をしてみる。そのまま二時間くらい、ソファで寝てしまってもいい。その間に白檀のお香を絶えないように焚くことにしている。白檀のお香は、祖母がよく焚いていたものだ。一杯飲み屋をやっていた祖母は、店が始まる前に、白檀のお香を一本だけ焚いた。それが祖母の店を開ける前にやる儀式だった。先日、横浜に仕事に行ったときに、たまたま仏壇屋さんの前で、祖母がよく焚いていたメーカーのお香を見つけた。仕事の疲弊がマックスを超えていたので、祖母に「まあ、一本やりなよ」と言われた気分になった。箱買いをして、最近は毎日焚いている。祖母は店が始まる前、割烹着を着て、薄っすら口紅を引く。孫の僕にとても魅力的な女性に映った。祖母はおもむろにマッチを擦って、白檀のお香に火をつける。カウンターにしばらく座って、目を閉じていた光景を忘れることができない。僕は気づくとまたソファで寝落ちしてしまっていた。
ずいぶん時間が経ったと思ったが、お香はまだ半分ほど残って、いい香りを部屋に充満させている。窓がすこし開いてしまっていて、冷たい冬の風が部屋に吹き込んできた。風の音が絶え間なくする。祖母と会話をしたあとのような心地いい気分になって、僕はもう一度眠ってしまった。