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真魚 八重子「映画でくつろぐ夜」

真魚八重子「映画でくつろぐ夜。」 第16夜

Netflixにアマプラ、WOWOWに金ロー、YouTube。
映画を見ながら過ごす夜に憧れるけど、選択肢が多すぎて選んでいるだけで疲れちゃう。
そんなあなたにお届けする予告編だけでグッと来る映画。ぐっと来たら週末に本編を楽しむもよし、見ないままシェアするもよし。
そんな襟を正さなくても満足できる映画ライフを「キネマ旬報」や「映画秘宝」のライター真魚八重子が提案します。

■■本日の作品■■
『手紙は憶えている』(2015年)
『メメント』(2000年)

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

記憶がおぼろな映画

 去年の今頃に母を亡くした。晩年の母は認知症で、元気なころには「長患いせずに死にたい」と言って、死に際に苦しまないよう「ぽっくり地蔵」へお参りに行ったりしていたのに、本人が一番危惧していた認知症になってしまった。

 プライドが高かったので、ぼけた姿を家族に見られたくないから、「介護しないで。わたしがボケたら老人ホームに入れてほしい」と突き放したように宣言していたのに、いざとなるとやはり怖かったようだ。最後の2年間ほど、母とあんなに会話をしたことがなかった。若い頃の恨みが噴出したりして、決していい話ばかりではなかったけれど。

 認知症で記憶の時系列がみるみる歪んでいくのが、悲しくもあり、また病気の生々しさに驚きもあった。目の前の人の頭の中が壊れていくのは、率直な印象としては怖さもあった。地元の介護施設へ面会に行き、「じゃあわたし、これから東京へ戻るから」と帰ろうとしたとき、母が不思議そうに呟いた。
「東京?」
 一瞬、何を聞かれたかわからなかったが、すぐにああそうかとわかった。
「わたし、上京してもう10年以上になるよ。覚えてない?」
 母は、「ああそう」と適当にあいづちを打っていた。それまでは認知症といっても、日付が混乱したり、名前を間違えたりといった、我々もしそうな勘違いの回数が増えただけだったが、この瞬間は、なんだか記憶が大きくべろりと剥離したような気がした。母はわたしが上京後に結婚したことも、当然覚えていなかった。
 でも、わたしに対して娘だということは最後まで認識していたので、その点はありがたいおまけだった。

 旧ソ連のアンドレイ・タルコフスキー監督に、『惑星ソラリス』(72年)というSF映画がある。ソラリスは海に覆われた惑星だ。この海は不思議な能力を持っていて、人の潜在的な記憶を物質化してしまう。ソラリスを探求する宇宙ステーションに、心理学者のクリスが新たにやってくる。すると、クリスの元に自殺したはずの妻ハリーが現れる。

 最初は驚きを隠せないクリス。しかし次第に、それがソラリスの海が作り出した存在だと知りつつも、ハリーと穏やかな時間を過ごそうとする。だがソラリスもクリスの記憶を元にハリーを造り出しているので、彼の妻の自殺を巡る混乱した記憶は、物質化したハリーにも困惑を与える。

 この疑似ともいえない、夫が妻との日々を取り戻そうとする葛藤も好きなのだが、この映画のラストでは、クリスのもっと古い、両親にまつわる記憶へと遡っていく。

 家の中で片づけをしている父を、窓の外からクリスが覗く場面がある。ソラリスも曖昧な記憶を精緻に再現するには限界があるようで、家の中には崩壊しかけた部分が水のしたたりとなっている。この、おぼろな記憶をもろくこぼれる水で表現しているのを観たとき、なんて映画的なんだろうと感激した。

 『惑星ソラリス』は若干難解な映画なのだが、とても美しくて、詩を眺めているような感覚になる。心のゆとりがある際にでも、ご覧になっていただきたい。

『手紙は憶えている』(2015年)

『手紙は憶えている』

監督:アトム・エゴヤン
脚本:ベンジャミン・オーガスト
出演者:クリストファー・プラマー/ブルーノ・ガンツ/ユルゲン・プロフノウ/ヘンリー・ツェーニー

 カナダの映画監督アトム・エゴヤンの作品。

 主人公のゼヴ(クリストファー・プラマー )は90歳で、認知症を患い介護施設で暮らしている。長年連れ添った妻に先立たれたが、それすらも彼は忘れてしまっている。だが、ある友人からの手紙は、彼に若い頃の痛烈な記憶を呼び覚ました。アウシュビッツで家族を殺されたのだ。そのときのナチスの兵士は、現在は偽名を使い別人として暮らしているらしい。復讐に燃えるゼヴの、記憶が混乱した旅が始まる。

 よくもまあ、こんな設定を思いついたものだと感心する映画だ。こんな表現をすると怒られてしまいそうだが、初めてのお使いのような危なっかしい旅なのである。ゼヴは旅の途中で、なぜ旅をしていたかを忘れてしまう。電車に乗れば、どうして電車に乗ったかも忘れてしまう。
 非常に珍しいスリリングさを持った映画である。

『メメント』(2000年)

『メメント』

監督・脚本:クリストファー・ノーラン
出演者:ガイ・ピアース/キャリー=アン・モス/ジョー・パントリアーノ/マーク・ブーン・ジュニア

 クリストファー・ノーラン監督の出世作で、一世を風靡した映画。

 愛妻を殺されたショックで、記憶が10分程度しか持たない記憶障害に見舞われてしまったレナード(ガイ・ピアース)。彼が復讐のため、最愛の妻を殺した犯人を追う異色サスペンス。本作がヒットしたあと、前向性健忘を扱った映画が雨後の筍のように登場した覚えがある。

 レナードは記憶が保てないため、ポラロイドカメラで必要なメモを残し、体にタトゥーを入れている。この設定も極端で人気を集めたが、何より時系列が逆に構成された造りがウケたのだと思う。じつは、ミステリーとしてはそんなに珍しい謎でもないのだが、手の込んだ編集によって、非常に新鮮な印象を観客に与えたのはやはり秀逸だ。

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

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ライター紹介

真魚 八重子
映画ライター
映画評論家。朝日新聞やぴあ、『週刊文春CINEMA!』などで映画に関する原稿を中心に執筆。
著書に『映画系女子がゆく!』(青弓社)、『血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィ宣言』(Pヴァイン)等がある。2022年11月2日には初エッセイ『心の壊し方日記』(左右社)が発売。
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