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「おつかれ。今日の私。」ジェーン・スー

「おつかれ、今日の私。」vol.15

東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。

おつかれ、今日の私。 vol.15

あなたにとって、湧きあがると面倒な感情ランキング第1位はなに? 私は「時差怒り」。あとから沸々と湧いてくるアレだ。「口から先に産まれた」と親にからかわれるほど口が立つ私でも、思ったときにパーンと言いたいことが言えなかったことは何度もある。特に恋愛で。勢いに圧されて口ごもってしまったときもあるし、なにに腹が立ったのか、どう傷付いたのか、そのときには自分でもわからず流してしまったこともある。あとから段々と気持ちが整理され、あれはひどい、言い返せばよかった、なぜあんなことを言ったのか聞けばよかった、言い訳など聞かずに立ち去れば良かったと、どんどん腹が立ってくる。

つい先日のこと。恐ろしいことに、十年以上前に別れた相手に、突然怒りが湧いてきた。執念深さに自分でもびっくりだ。いや、執念深いわけではない。だって、ずっと怒っていたわけではないのだもの。どちらかと言えば、そんなことはずーっと忘れていた。

私はなぜ「ここで決断できないような子は好きじゃないな」なんて言われたことを、いまさら思い出してしまったのだろう。シチュエーションはこうだ。当時、私は身の丈を大きく超えた仕事のオファーを受けていた。夢のような話だった。22歳で働き始めた当初から「いつかやりたい」と思っていたことに近いし、いまの部署では絶対にできない仕事。しかし、難易度も高い。かなり高い。失敗は許されないが、当時のスキルで自分が役に立てるとは到底思えなかった。

だから、断ろうと思った。「夢のようなお話ですが、力不足で私には無理です」と。いまの私が、尻込みする当時の私を見たら喝を入れるに違いない。「やってもいないうちから失敗に怯えるの? できると思われたからオファーがきたのよ。できるかどうかは、あなたが決めることじゃない。やりたかったことでしょう? やりなさい!」って。いまとなっては「女の子は控えめがいいなんて考え方は大間違いです!」とメガホン片手に喧伝しながら歩く私だが、あのころは私もそういう価値観に染まっていたのだろう。

十歳近く年上だった当時の彼は、私を叱咤激励した。ぜひやるべきだと。困ったことがあったら手伝うとまで言ってくれた。それでも渋る私に、最後に言い放ったのが「ここで決断できないような子は好きじゃないな」だった。情けないことに、嫌われたくなかった私は「じゃあやる」と言ってしまう。最低!

彼のおかげで、私のキャリアは一気に広がった。その点では本当に感謝している。あれがなかったら、今日の私はなかったと思う。だけど、愛情と引き換えに、やりたくないことをやらせるようなもの言いは間違っている。ようやくそこに気が付けた。

うじうじする私に最も効く言葉を選んだのだとは思う。それでも、やっぱりあれは間違っている。好きな相手にそんなことを言っちゃいけない。結果オーライとは言え、そこで勢いづいた私も間違っていた。あー恥ずかしい。

多大なる感謝があったから、怒りに到達するのに時間がかかってしまったのだろう。ま、勢いづいた私は数年後に次の転職をして、そのタイミングで次のステップにコマを進めたかった彼と意見が合わずに振られてしまうのだけれど。

心のなかに、こんがらがった糸の塊のようなものがずーっとあった。感謝しているのに、しきれないもどかしさが。振られたからかな? と思っていたけど、どうやら違ったらしい。全幅の信頼を寄せていたことを理解した上で、私を不安でコントロールしようとしたことが不服だったのだ。

本人に伝えることはもう叶わないが、原因がわかってかなりスカッとした。感謝と怒りは両立するという新しい発見もできたし、私は大満足。おつかれ、あのころの私。さ、熱いお茶を淹れて豆大福でも食べましょう。ここで幸せな気分になっておかないと、いらぬ導火線に火が着いて、別の時差怒りが湧いてくるから。あ~豆大福おいしい。


Writer Writer
ライター紹介
ジェーン・スー
コラムニスト/ラジオパーソナリティ/作詞家
東京生まれ、東京育ちの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」(月〜木11:00〜)のパーソナリティを担当。
毎日新聞、婦人公論、AERAなどで数多くの連載を持つ。
2013年に発売された初の書籍『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)は発売されると同時にたちまちベストセラーとなり、La La TVにてドラマ化された。
2014年に発売された2作目の著書『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』は、第31回講談社エッセイ賞を受賞。

その他の著書に『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』(文藝春秋)、『今夜もカネで解決だ』(朝日新聞出版)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮社)、『私がオバさんになったよ』(幻冬舎)、脳科学者・中野信子氏との共著『女に生まれてモヤってる!』(小学館)がある

11月6日発売
最新著書『女のお悩み動物園』(小学館)
【特設サイト】https://oggi.jp/6333649
【twitter】:@janesu112


イラスト:Ayumi Nishimura
大学在学中よりイラストレーターとしての活動を開始。
2016年〜2018年にはニューヨークに在住。
帰国後も現地での経験を作風に取り入れ、活動を続けている。
【Instagram】:_a_y_u_m_1_/
【official】ayuminishimura.com/

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