散歩 this way -09-
得難い世界観で溢れる音と歌詞が、音楽ファンから注目を集めているシンガーソングライター/詩人の柴田聡子が綴るエッセイ。
テーマは趣味であるという「散歩」。本人が実際に撮影した写真とともにお楽しみください。
「走りながら散歩」
この頃は走りながら散歩をしている。
前回の記事に引き続き、12月と1月はガタガタだったからだを立て直す日々を送っていた。そのおかげか、疲れとの付き合い方がすこしずつわかってきて、元気をとりもどしつつある。
中でも、かかりつけ医から受けた「一日一回は息の上がる運動をしてください」というアドバイスは大きかった。一日一回、どんなことで最低何分とは言われていないし、とりあえずなんでもいいから息が上がればいいか!と、バスケ部でやっていた懐かしのバーピージャンプ、YouTubeにある「鬼」などと名付けられている脚トレ・腹筋などに手あたり次第に取り組んで息を上げていた。なんとなく調子がいいし、人から見る最近の私は、自然と笑顔がいい感じになっていたりするらしい。運動はすごいな。
相変わらず散歩もしている。しかし散歩で息が上がることはほとんどない。早歩きをしてもからだがほかほかしてくるくらいである。散歩のついでに息の上がる運動ができてしまえば楽なのにな〜とお得意の怠け者思考を巡らせながら歩いていたある日、それなら散歩の途中で走ってみたらいいのでは?と思いつく。
これまでの人生でもランニングをしていた期間はあった。走るか、走るかあ〜、よーし走るぞ!と三段階くらいの心の準備をして、走るための格好をして、走るための靴をはいて、走るためのウォーミングアップをして、走るためのコースを決めて、走る時間を決めて、ととにかくやることが多くて、ものすごく面倒くさく感じて、だんだんと遠ざかっていった。
それに比べて散歩はやっぱりほんとうにいい。ふと思い立った時に、特になんの覚悟もなく、着ている服そのままで、歩きにくくない靴で出て行って、そこらへんを歩き回っていたらそれでどう転んだって散歩になる。そんな調子で走りたい。
走れない服なんてあるのだろうか?思い出そう。電車に間に合いそうになくて駅へ全力ダッシュしている時、その時ランニングウェアだったことがあっただろうか、いや、ない!ということで、唐突に散歩の途中で走りだしてみた。これは走れる。私の普段好んでいる服と靴なら余裕だった。でもきっとふわっふわな服でもゴリゴリの靴でも走れるだろう。走っている人ではなく、急いでいる人であればどんな状態でも走れる。数十分走るのであればそれなりの格好が必要なのかもしれないけれど、息が上がるまでで十分だし、そうでなくてもものの数分しか走れないのですぐ止まるし、なんの問題もなかった。走っている人、ではなく、急いでいる人、のように自認できるのもよかった。走っている人という自意識になぜか耐えられない。こうして歩いては走り、また歩いて気が向いたらまた走って、を繰り返す「走り散歩」が今の定番になった。
一日中家であれこれしていたある日の夜おそく、気づけば今日は外に一歩も出ていない、息を上げていない!と部屋着にコートを羽織って散歩に出た。曲を作ってテンションが上がっていたのもあり、即座に走りはじめた。たのしい時は疲れを感じにくいのか、歩こうと思っていたコースをほぼ走って通した。こう、ホッホッ、と太ももを引き上げる感じで姿勢良く弾むように走るとうまいこと走れるんだな〜、そういえば陸上の選手の姿勢って良いしな〜、と新しい発見も出来たし、息も上がったし、大満足で家の前まで帰ってきたところで、コートのポケットに入れていたはずの家の鍵がないのに気づいた。青ざめる。やってしまった。
なにが弾むだ!そのせいでコートのポケットから落ちたんだ。イヤホンをしていたので鍵の落ちた金属音にも気づかなかった。なにがノイキャンだ!抜作め!
めそめそしながらスマホのライトを光らせ、走った路上を探して回った。ない……ない……もう23時……と絶望しかけていた時、マフラーをぐるぐる巻いた人が「あの〜」と話しかけてきた。「もしかして鍵を落としましたか?そこのあたりの端っこに寄せておいたのですが……」、神だった。通りすがりの人間とは思えぬ特大リアクションと感謝をむちゃくちゃに示して、鍵のあるところまで一緒に来てもらって、見つかるとその人は笑顔で去っていった。なんて素敵な人だったのだろう。あんな人に私はなりたい、人を信じ、信じてもらいたいと泣きながら家に帰った。



