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アートボード 1

散歩 this way -05-

得難い世界観で溢れる音と歌詞が、音楽ファンから注目を集めているシンガーソングライター/詩人の柴田聡子が綴るエッセイ。
テーマは趣味であるという「散歩」。本人が実際に撮影した写真とともにお楽しみください。

「近くの海散歩」

 アァ〜〜〜〜〜、もう我慢できない、今すぐに海が見たい!ということでお台場海浜公園へ散歩に出かけた。

 夏真っ盛りのうちに海を見たいねと友人と話していた。その友人とのあいだでの「海」とは、由比ヶ浜とか江ノ島とかちょっと遠い海を指している。東京から行って遊んで帰ってくるので一日かかることもあってなかなか日にちが合わなくて、気づけば9月も半ばになってしまった。

 友人と海に行けそうな日を睨みつつもなかなかいい日が来ない。いよいよ海欲が爆発しそうなってきた。でも一日かかる!というか一日かけて楽しみたい!どうしたらいいんだ!と頭を抱えていると思いついた。近くの海へ行けばいいのでは?どうしてこんなことに今まで気づかなかったのだろう。半日ほど空いている日にぴょんと電車に飛び乗り、あっという間にお台場海浜公園近くの駅に着いた。

 こころなしか駅構内からすでに潮の香りと肌に張り付く湿度を感じる。これこれ〜!髪ばしばし、肌べたべたになってこそ海。改札内にあったタリーズコーヒーでアイスコーヒーを買う。やたらと空いていて、散歩をやめてずっとここにいてそのまま帰るのもいいなと思う。

 地上に向かう長いエスカレーターが並んでいる。ここから海につながるとは信じ難い。バンバン車が走っていく大きな道路にかかる橋を渡り、小さな林を抜けると海が見えた。海だ〜!泣きそう〜!よく晴れていたので水面がキラキラしている。桟橋に居る人たちのシルエットの輪郭が光っている。近くに大きなビルが建ち並んでいたりするのに、砂浜はあるし、潮騒は聴こえてくるし、木陰で上半身裸で寝転ぶ人はいるし、砂遊びしているし、しっかりと海であって不思議だった。私の出身地である札幌は海がやや遠く、「海へ行く」という行為は大イベントだったのもあってこんなにふらっと海らしい海へ来られることに感動。

 舗装された道路から降りて砂浜を歩く。歩きにくくて最高!砂に足を取られないように気をつけながら海をちらちら見て、疲れながら太陽光をばりばり浴びてくたくたになることが海の醍醐味。夜、泥のように眠るのを想像するのが至福。水を触ってみるとぬるいまでいかないけれど冷たくはない。自分たちの暮らしているところと同じ雰囲気の水ですんなり手に馴染んだ。全然知らないところの水を触るとびっくりすることが結構多い。全てつながってはいるのに、どこの海も全部ちがう海だということがほんとうに面白いな。

 砂浜が切れてまた道に戻った。自由の女神像があるんだな、噴水を作るために工事中なんだな、とここらへんのトピックを眺めながら歩き回り、空中回廊のようなところにあるベンチに座って落ち着いた。ああ、延々ゆらゆらして流れているようなとどまっているような波を見ているだけで心が洗われていく。私らも海から来たからなんだろうか。ふるさとなんだろうか。こういう、日々の生活の中では休み休み言わないと舌打ちとかビンタが飛んできそうな考えがぽんぽん浮かんでくるのも海ならでは。海の包容力の前では言葉が意味をなさないというか、すぐに消えていくというか、何にも影響を及ぼさなくなる。修学旅行生がぞろぞろとやってきて目の前に並び、「スカイツリーは634メートル、む・さ・し、と覚えてください!」というガイドの説明を受けていて自分もあらためてむさしを心に刻んだ。

 無心で座っていると、昨日、ライブ会場で友人のこどもたちに会えたうれしさがしみじみ思い出されてきた。生まれたばかりの子や、この世にやってきて数年の子、言葉だったり遊びだったり、まだそういうかたちが無いなんとなくの視線だったりで交わしたコミュニケーションを反芻していた。幸せだなぁ、と心の中の加山雄三がつぶやく。これ以外に全然言葉が出てこない。海はいちばん言葉が出てこない。せっかく加山雄三が出てきたので「君といつまでも」の歌詞を調べてみたついでにウィキペディアを読んでみると驚いた。曲のアレンジが気に入った加山雄三がうれしさのあまり「いやあ、幸せだなぁ」と呟いたことが曲中の「幸せだなぁ」につながったのだという。それはほんとうに幸せだよなぁ、幸せだなぁ、と同じ言葉をちがう言葉のように繰り返して幸せを噛み締めた。

 日が暮れてきたのでそろそろ帰ろうかと立ち上がり駅に向かって歩き始めた。いろんなところに伸びているスカイウォーク。あっという間に街に戻っていく。海欲がほどよく満たされ晴れやかな気持ち。秋の海に行くのもいいよねと前向き。

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ライター紹介

柴田聡子
シンガー・ソングライター/詩人
1986年札幌市生まれ。武蔵野美術大学卒、東京藝術大学大学院修了。2012年に1stアルバム「しばたさとこ島」を発表。2016年に初の詩集『さばーく』を上梓し、第5回エルスール財団新人賞・現代詩部門を受賞。楽曲提供やドラマ出演など、多岐にわたり活躍。

2024年リリースのアルバム『Your Favorite Things』がCDショップ大賞2025大賞<赤>を受賞。2025年、シングル『Passing』をリリース。文を手がけた初の絵本『きょうはやまに』(絵・ハダタカヒト)の単行本を上梓。

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