「おつかれ、今日の私。」vol.19
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.19
あなたにとって、「料理は……」のあとに続く言葉は? 好き、嫌い。得意、苦手。毎日する、たまにする。私の場合は「したいときにする、好きでも嫌いでも、得意でも苦手でもない行為」だ。
料理には頭を使う。同じ素材でも、切り方や調理方法、調味料でガラッと見た目や味や食感が変わるから。シイタケと豚バラと木綿豆腐が冷蔵庫にあったとして、洋風にするか中華風にするか、はたまた和風かエスニックか、料理人によって仕上がりは千差万別だろう。主菜にする? 副菜にする? スープという可能性も。栄養を考えると、ほかになにを足したらいいだろう。毎日家族のために食事を作っている人には本当に頭が下がる。
炊事と掃除と洗濯は家事の三大巨頭だが、掃除や洗濯でここまでのクリエイティビティを、一日に最高3回という高頻度で求められることはない。加えて、料理は予算を考慮した買い物や、片づけまでが範疇だ。本来なら人ひとり雇ったほうがいいくらい。それでも家族の好みに合わせて工夫を重ねる人が少なからずいるのだから、できる限り交代制にしたほうが公平なのではないかと思う。大人が2人以上いる場合に限っての話だけれど。
さて、ひとり暮らしの私がシイタケと豚バラと木綿豆腐を目の前にしたら、迷いなく豚バラをフライパンにぶちまけ、シイタケと豆腐を入れて塩で炒めて胡椒を掛ける。気が向いたら、お湯を足してスープにするだろう。私は炒め物と、炒め物ベースのスープが大好きだ。
フライパンを先に温めておいたほうが良いであろうこと、せめて豚バラはひと口大に切った方が食べやすいこと、塩だけでなく五香粉なんかを使ったほうが味に深みが出ることは、知識としては知っている。知っているけれど面倒くさい。面倒と食べた後の満足感、もっと言えば感動を天秤にかけると、たいていは面倒くささが勝つ。ひとり暮らしでもきちんと自分のために料理をする人の話を聞くと、「嗚呼、この人は面倒に感動が勝つのだな」と思う。あくまでひとり暮らし(つまり自分のため)の人の場合です。
世の中のたいていのことは、面倒と感動の対決で決まるような気がしている。信じられないほど細部までこだわる職人は、やり遂げた満足感から享受する感動に、面倒を回避することより高い価値をつけている。
面倒と感動の対決は、小さいものを入れれば一日に100回くらいやってくる。今日なにを着るか、電車で行くかバスで行くか。そして、人はそれを「選択」とか「決断」と呼ぶ。でも、私は思うのだ。そんなに大げさなことにしなくてもいいのではないかと。
面倒と感動の戦で面倒ばかりが勝つときは、単に興味が向かないとか、疲れているだけってこと。意気地がないとか、やる気がないという話ではないのかもしれない。アップルコンピュータの故スティーブ・ジョブズやフェイスブックのマーク・ザッカーバーグが毎日同じ服を選ぶのは選択の負荷を減らすためと言われているが、あの手の天才たちでさえ、面倒と感動の戦~被服編~では常に面倒が勝っているわけだ。毎日同じ服を着ているからって、「やる気がない」と彼らを見做す人はいないだろう。
ならば、私のような人間はなおさら、「ひと手間」を選べない自分を恨まないほうがいい。自分が食べて美味しければ、ひどく栄養が偏っていなければ、雑な料理だってかまわない。うんざりするほど手間を掛けたくなるものがなにかひとつあれば、それでいい。