「おつかれ、今日の私。」Season3
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.07
先月のこと。とある観光地で仕事があり、私は新幹線の駅を降りてタクシーに乗り場へ向かった。夕方にもかかわらず、外はうだるような暑さだった。タクシー乗り場には人が並んでいて、ようやく私の順番がきてタクシーのドアが開いた時、ひんやりした空気が顔に当たってホッとひと息つくことができた。それはほんの束の間のことだったけれど。
目的地を伝えると、運転手さんはすかさず「この辺の人?」と私に聞いてきた。「いいえ、東京からです」と答えるや否や、信じられないことが起きた。運転手さんが、この観光地をけちょんけちょんに貶し始めたのだ。
運転手さんは、思わずくすりと笑ってしまうようなユーモアを上手に混ぜ込みながら、しかし痛烈にこの地を、特に人を批判してきた。「ここの人たちは交通ルールを守らない」から始まって、「成熟した大人がひとりもいない子どもばかりの街」だとか、「みんな自分のことしか考えてないで他者から学ぼうとしないから地域全体が取り残されている」とか、「偉そうな態度で人を馬鹿にしてばかり」とか、「とにかく常識がない」とか、「歴史的に人に品がない」とか、とにかく貶し、やがて出るところに出たら侮辱罪で罰せられるんじゃなかろうかというようなことまで言い出した。立て板に水の如く、一点のよどみもなく悪口が出てくるところを見ると、もう何年も同じことを言い続けているのだろう。悪口のブラッシュアップされ具体が尋常ではないのだ。
この地を訪れた観光客に、よくもここまで悪口を吹き込めるなと私は心底感心した。仕事で来たからよかったようなものの、これが観光目的の旅行だったらたまったものではない。駅を降りてすぐにこんなのに捕まったら、悪夢以外のなにものでもないだろう。
運転手さんはラッキーだった。私には底意地が悪いところがあるので、罵詈雑言をニコニコと聞いていられる。そして悪口のオンパレードが最高潮に達した瞬間、私は彼に尋ねた。「そんなにひどい街なら、なぜここから出て行かないのですか?」と。
いま思い出しても、ちょっと悪いことをしたなあと反省するくらい、運転手さんはシュンとしてしまった。しばしの沈黙のあと、彼は言った。「地元に戻っても仕事がないんだよ」と。そんなことだろうなとは思った。ここに居続けなければいけない理由が、彼にはあるのだろう。だったら、うまく折り合いをつけたほうがいいよ。
およそ20分の悪口大会、まるでアミューズメントパークのなんとかライドに乗っているみたいな気分だった。そして私は学んだ。悪口を言い続けると、「私はさみしい」と言い続けているようにしか聞こえないのだと。
運転手さんにとってはちょっとしたストレス解消のつもりだろうが、彼の罵詈雑言で観光地の印象が悪くなることは一切ないだろう。だってあまりにも極端な私怨ばかりだもの。彼の印象がひたすら悪くなっただけだし、その上に傷付いた心の持ち主で、さみしくて仕方がないんだというメッセージしか伝わってこなかった。
私には彼の罵詈雑言に既視感があった。これ、若い頃に失恋した時にやりがちなやつだ。運転手さんも若い頃の私も、「ひどいことをされて傷付いた」という話し方だったら、100倍良かったと思う。なのに運転手さんも私も、まるで自分は万能な大人という風情で、「彼のああいうところが未熟、こういうところがダメ」と矢継ぎ早に相手を否定しまくり、むしろ未練たっぷりなことがバレバレだったのだ。嗚呼、恥ずかしい。
素直な気持ちを口にするのって恥ずかしくてとても難しいけれど、本心を厚めのオブラートに包みすぎて、発する言葉以外のメッセージが強烈に伝わってしまうことのほうがずっと恥ずかしい。運転手さんありがとうございます。大事なことに気づけました。