「おつかれ、今日の私。」Season3
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.06
なにを考えているかわからない人、というのがいる。
滅多に自己主張をしないとか、いつもふざけてハチャメチャなことばかり言っているとか、そういうタイプの「なにを考えているかわからない人」のほかに、場面によって言うことを変える、言動が一致しない、というタイプの人もいる。最後のふたつは特に、他者からの信用を失いがちだ。
誰だって、たいてい毎日なんらかの小さな嘘を吐いたり、本当のことは黙っていたりするものだ。他者と社会生活を営んでいる限り、本心以外はひとつも言わなかった日なんてのは、なかなかない。それでも、信用に足る人と、そうでない人にわかれるのは不思議と言えば不思議。
知り合いに、礼儀正しい人がいる。私の話もよく聞いてくれるし、自分の話もよくしてくれる。心を開いてくれているように感じる。一方で、全幅の信頼を置くのはやめておいたほうがいいなと思う瞬間が少なからずある。
どういう時にそう思うかと言うと、私の反応に合わせて自分の意見を微調整していると感じる時。一回では気づけないが、本人も無自覚な癖というようなものがあるのだろうか、何度も繰り返されると「あ、いま微調整したな」というのがわかるようになってくる。「そうですよねえ」と同意するのに、行動が一切伴わないのも特徴だ。私に信頼されたいのかと思っていたけれど、そうでもないんだろうなと思うに至った。
本人は多分、失礼がないようにしたいのだろう。対立を好まないのかもしれないし、本心を言って嫌われたり、馬鹿にされたりしたくないというのもあるかもしれない。本当の自分なんて見せたくないのかもしれない。私にもそういう気持ちはあるから、わからなくはない。
けれど私がそういう態度をとるのは、関りの浅い仕事やその場限りの付き合いの相手で、「この人とは、とりあえずこの場の体面さえ保てれば良いな」と思う時なのだ。だから、私は自分の法則を相手にもあてはめて、この人は私のことはたいして大切には思っていないと判断する。仲良くなりたい、信頼されたい、とは思われてないのだなと。
後日、シンガポールの名物料理、肉骨茶(バクテー)を食べながら女友達にその話をしていたら、彼女はこういった。
「誰かと仲良くなりたかったら、嫌われないように気を使って本心を隠すんじゃなくて、本音で話すしかないんだよ」
そうね、本当にそう。相手の意見と自分の意見が違ったら、「私はそうは思わない」って言うほうが、結果的には仲良くなれるんだよね。気乗りしない集いがあったら、生返事をするのではなくて、ちゃんと断ったほうが誠実で信頼されるんだよね。
仲良くなるには、相手との共通点を見つけることが大事だと聞いたことが何度もある。それもひとつの真理だとは思うが、本心とは裏腹な同意をしても、距離は縮まらない。自分のプライオリティって、口に出さずとも小さな判断や行動で絶対にバレるからだ。一度そうなってしまうと、すべてが言動不一致に見えてしまうし、積もり積もって不誠実と見なされれば、結局は人が去っていく。
素の自分に自信がなく、相手に合わせてしまうこともあるかもしれない。けれど合わせる理由が、ありのままの自分では好かれたり信用されたりするわけがないという思い込みから来ているのだとしたら、やってることは逆効果になる。
言葉ではいかようにも嘘がつけるが、行動ではなかなかそうはいかない。だから、信用されたいと思ったら、仲良くしたいと思ったら、本音を言うしかないのだ。それでウマが合わなかったら、ご縁がなかっただけなのだから。