「おつかれ、今日の私。」Season3
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.02
雑誌『VERY』専属モデルであり事業家でもある申真衣さんが、とあるインタビューで「パートナーがいることで適切なリスクがとれる」と言っているのを読んで、なるほど! と唸ってしまった。スッと腑に落ちる。
インタビューは時代の変化にともなう働き方の変化についてであり、「キャリア形成のためにはリスクテイクは必須で、大胆な変化を必要とする時にパートナーがいると、一歩前に踏み出しやすい」という話だった。その通りだと思う。
いっぽう世間では、「パートナーの存在が自身の成長の妨げになっている」というような話を少なからず聞く。「つがいになったせいで、やりたいことができなくなった」という話ではない。独り身だったら気兼ねなく満たせた自分本位な欲望を、思いやりや気遣い、愛情のあらわれ、パートナーシップを担う責務として、場面によって控えるのは必要なことだから。
私が気になるのは、最初はやすらぎを約束してくれた存在が、いつの間にかお互いの変化を妨げる足かせになってしまう場合だ。ここで「変化」より「成長」という言葉を使ったほうが通じやすいのかもしれないけれど、他人のおかげで自身が成長することはあるにせよ、それはあくまで結果であって、成長がパートナーシップの目的になるのは、なんだかさもしい感じがする。
話を戻す。食べるもの、着る服、毎日のルーティーン。パートナーが固定されると、生活の基盤が盤石になるのと同時に、日々の変化が乏しくなる。それが安定と呼ばれているものだ。いや、「最近まではそう呼ばれていた」とするのが適切かも。安定という言葉が、従来型の安定の意味を成さないことが多くなってきたのだから。それこそキャリア形成で言えば、終身雇用のような半未来永劫システムがなくなってなお変化のない安定を求めても、単なるリスク増にしかつながらない。自分の意志とは無関係に変化していく社会に適応しないままでいるのは、とってはいけないほうのリスクだ。
今日の今日まで、私は「この人と一緒にいると、安心してタスクを分担できる」が、日常におけるパートナーシップのベストだと思っていた。それを「この人と一緒にいると、ひとりではとれないリスクがとれる」に更新できたら、なんと素晴らしいことだろう、可能性の扉がパンパンと開いていく音が聞こえてくる。お互いを縛る鎖ではなく、見えない命綱でつながっている安心感がある。
リスクをとるといっても、異業種転職なんていう大胆なものでなくてもかまわない。食べたことのない料理にチャレンジしたり、やったことのない髪色にしたり、行ったことのない国へ旅行したり、そういう小さなことでもいいと思う。その小さな変化は、次の扉を開くきっかけになるに違いない。
自戒の念を込めて書くが、パートナーのせいでやりたいことができないという不満を持ったことは、多かれ少なかれ誰にでもあるだろう。そこにフォーカスしてしまうと、どうしたって関係性のベースが我慢になり、うまくいかなくなってしまう。
さて、私はどうだっただろう。過去のパートナーたちは、私といることで変化に伴うリスクをとれただろうか。ひとりふたりに関しては胸を張ってそう言えるが、それ以外のみなさまには菓子折りを持って謝りに行きたい気持ちになった。