「おつかれ、今日の私。」Season2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.13
「彼にピッタリな子は、もっとほかにいると思うんですけどね」
誰もがうらやむ美貌を持ち、それを磨き、仕事では次から次へと夢を叶えているアラサー世代の彼女がそう言った時、私は面喰ってしまった。まさか、あなたからその言葉を聞くなんて。
今週、この言葉を聞くのは二度目だった。一度目も恋に悩む三十代の女からだった。こっちはもっと深刻そうな顔で言ってたけれど、やはり同じように「私よりも彼にふさわしい女性は存在するはず」と不安がっていた。
失礼を承知で言うならば、どちらの彼氏も、世間のモノサシで言うところの高嶺の花ではない。どちらかと言えば、彼女たちのほうがそう言われて然るべし。彼氏から冷たくされているわけでもなし、だったら大船に乗った気持ちでいればいいと思うのだけれど、そうもいかないらしい。いや、その気持ちは痛いほどわかるけれど。
今週に限らず、この手の台詞を女たちから聞くことは少なくない。私にも思い当たる節だらけだ。過去にお付き合いをしたどの関係でも、自分こそが彼にふさわしい相手だと確信できたことなど一度もなかったから。
彼女たちと違って私が高嶺の花だったことはないが、人生がうまくいっている時も、いってない時も同じように不安だった。うまくいっていない時は、私よりもっと綺麗でおしゃれで物知りで所作も美しい、友達に自慢できるような女のほうが彼にふさわしいのにとうな垂れた。うまくいっている時は、私よりもっと社会的に非力で守ってあげたくなるような、自己主張も欲もない女のほうが、彼をホッと安心させて幸せにできるはずだという確信が頭から消えなかった。
今週出会った女たちの疑念は、後者のほうだ。二人ともちょうど人生がうまく回り始めて、いままでにない幸運が次から次へと押し寄せている。それが、自分の努力が結んだ成果だということも、少しは実感している。しかし、それを寿ぐのと同じ強度で自分を責める。人生がうまくいっていることに後ろめたさを感じている。こと恋愛となると、社会的に成長した自分におめでとうが言えない。
三十代に入ってからの私もずっとそうだった。男たちの口からは相も変わらず、「守る人がいるから頑張れる」という台詞が吐かれていた。鏡を見れば、そういう男たちを奮起させる「装置」にはなれない自分が映っている。罪悪感がじわじわと私を蝕んでいった。いま考えると馬鹿みたいだけれど、まるっと払拭できたとは到底思えない。
元彼氏たちからあからさまに苦言を呈されたことはないので、これは私自身の問題でもあるのだろう。だいたい、「控えめ」「大人しい」「サポートが得意」「よく気が付く」など、旧来型の女らしさ(つまり脇役としての資質)を持つと、自動的に主役になる自信を失ってしまう仕組みになっているのだから始末に悪い。自信にみなぎっていないほうが女らしいとばかり、いつだって陰に回ることをヨシとするのが旧来型の女らしさだ。つまり、「彼にはもっと素敵な人がいるはず」と思っていた時の私は、女らしかったってこと。なんという皮肉。この旧来型のひな型に囚われている限り、私は自分で自分に一生OKが出せないのだ。さて、どうしたものか。
今週出会った彼女たちが、私と同じ思いをどれほど共有していたかはわからない。けれど、人生が開けていくことに対して、自罰的になりつつある様子は窺えた。「わかるぅ~」としか言えず、具体的な解決策をなにも提示できなかったことがもどかしい。