「おつかれ、今日の私。」Season2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.12
新しく買ったマッサージローラーで硬くなったおでこをグリグリほぐして寝たら、翌朝に5つもニキビができていた。おでこにニキビができること自体が私にとっては珍しいことなので、間違いなくマッサージのやり過ぎのせいだ。頬や鼻やあごだったらマスクで隠せるけれど、おでこはそうはいかない。おでこって、無防備。
触らない方が良いことは重々承知の上で、我慢できずにブツブツを指でなぞる。こういうこと、確か前にもあったような。そうだ、あれはうんと昔のこと。別れることが決まった恋人と最後の旅行をすることになり、どうしても彼の心を取り戻したかった私は、少しでも可愛く見えるようにと女湯に浸かりながら顔面を長時間グイグイとマッサージした。のぼせるまでやった。焦る気持ちがそのまま指先に宿ったのか、風呂からあがった私のフェイスラインには、まんまと小さな青あざがふたつみっつできていた。馬鹿力がすぎる。
だいたい、別れると決まってから旅行にいくこと自体が尋常ではない。なんであんなことをしたんだろう? 何事もなかったように二人でご飯を食べて、カラオケをして、やることをやって、泥酔した男は最後に「本当に好きなのはキミなんだ……」と泣いた。わけがわからなかった。あなたに好きな人ができたから別れることになったっていうのに。
大人になってからわかったことはたくさんあるが、「なにを考えているかわからない相手はたいていなにも考えていない」もそのうちのひとつ。当時の男も、特別な考えがあって言ったわけではなかったのだろう。メランコリックな状況と酒に飲まれ、思わず口をついて出ただけ。それがわからなかった私は、ずいぶん長い間このセリフを引きずってしまった。どうしてあんなことを言ったの? と。当時の私の肩を抱きかかえて言ってあげたい。「なにも考えていないからよ」。
おでこのブツブツに薬を塗りながら私は考えた。自力でなんでもかんでも早急に解決しようとするから、ニキビが大量発生したり青あざになったりするのだ。ひとりでがんばれる自分を褒めてあげたい気持ちはあるが、ゆっくり少しずつやることも、自分の力ではどうにもならないこともあると知るのも大切だとたしなめたくもなる。硬いおでこ以上に、人間関係はそうだ。
大人になったいまでも、私はなにを考えているかわからない人に振り回されがちだ。一刻も早く答えを知りたくなってしまう。そういう人を無闇に触ったり強く押したりしても、望むアンサーは出てこない。いらぬ傷を負って、疲れてしまうことのほうが多い。
「いや、考えてはいるんだけど伝え方がわからないんだよ」という人もいるだろう。だけど、伝わってこないものをこちらが推し量り意図を汲んであげる必要もあんまりないのだ。考えが固まり、それを伝えたいと心から思ったら、なにより行動に移すはず。それをじっくり待つのも大切なこと。
おでこのニキビは三日もすれば治るだろう。跡が残らないようにしなくては。それにしても、あの頃は男の心をつなぎとめるためだったのに、今回は老化を食い止めるためだったってのが笑える話だ。