「おつかれ、今日の私。」Season2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.4
金曜日の夜、9時まであと15分。私たちは表参道の交差点で、ゆるやかな曲線を描く鉄のベンチに並んで腰掛けていた。この時間からだと、どこの店にも入れない。だから尻を冷やしながら、こうしているしかないの。いい年して、まるで塾帰りの中学生みたいだ。昼からずっと持ち歩いているペットボトルのお茶に小さな泡が立っていた。
少し年下の女友達からボヤキのLINEがきたのは数日前のこと。リモート会議で他部署の先輩がたに怒鳴られたと、憔悴したうさぎのスタンプを送ってきた。そりゃあぐったりもするよ。だって、私たちはもう40歳を優に超えている。こんな年になっても、リモートワークになっても、大きなミスをしたわけでもないのに、新人時代と同じように不本意な扱いを受けることがあるんだから。
上層部から新規プロジェクト立ち上げのリーダーを任命された時、元人事部の彼女はもろ手を挙げて喜ぶどころかキュッと身を縮こませた。「新規プロジェクト」とは名ばかりで、要は各部署の生産性アップのために余剰人員をひとまとめにする施策だと知っていたから。直ぐには利益を出さなくても良いフワッとしたプロジェクトに人を集め、定年までそこでやり過ごしてもらうのだ。彼女の仕事は、そのチームをローンチするところまで。
各部署から集められたのは、一癖も二癖もある社員ばかりだった。このご時世だから、「異動辞令後のさまざまな連絡はリモート会議で」となる。今後のことを彼女が淡々と説明しているうちに、ひとりがぽつりと待遇について不満を漏らした。それを聞いた別のメンバーが、今度は進行に難癖をつけ始める。お互いの顔を画面上で見てわかったのだろう、これがどういうプロジェクトなのか。
「なにを言われても冷静だったし、笑顔で丁寧に説明したのが逆効果だったのかも」と、疲れた顔の彼女は言った。突然、最年長のメンバーが「あんた何様のつもりなんだ!」と声を荒げ、散々怒鳴り散らした挙句に会議からログアウトしてしまったという。なにそれ。荒れた高校に赴任した女教師の通過儀礼みたい、馬鹿馬鹿しい。彼女が罵倒されているあいだ、それを止める人はいなかったという。本当に災難だったね。
それにしても、さすが私の女友達だ。ねちねちやられた挙句に大きな声を出されても冷静だったなんて、惚れ惚れする。5年前なら相手が恥を掻く嫌味を言っただろうし、10年前なら怒鳴り返したに違いない。20年前なら、慌てふためき泣いてしまったろう。どれも、相手の思うつぼ。こういうときは、絶対に同じ土俵に上がってはいけない。
会社なんて、みんなとお互いを理解し合う場所ではないってこと。失敗を繰り返しながら歳を重ね、私たちは嫌と言うほど組織という歪な生き物のことを学んだ。30年前の学生時代と同じように、ガードレールに腰かけぬるいお茶をすすっていたとしても、あの頃には見当もつかなかった御し方も闘い方も知っている。強くはないかもしれないが、もう弱くもないのだ。「ひとつだけ失敗しちゃってさ、録画してなかったのよ、その会議」と彼女が笑った。残念だったねえ、動画があれば一発でアウトだったろうに、その人。そう言えば、高校のときも、大学のときも、こうやって外気に当たりながら女友達と励まし合った夜があったっけ。まさか40歳過ぎてもやるとは思っていなかったが、ということは50代でも60代でもやるのだろう。なにが私たちをうんざりさせるのかいまはわからないけれど、それなりのかわし方は体得しているはずだ。隣に並んでつらつらとおしゃべりをしていれば、また立ち上がれることを私たちは知っている。だから、大丈夫。