
「おつかれ、今日の私。」vol.2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.2
彼女との付き合いは、あっという間に20年を超えた。新卒で入社した会社の一年後輩。私よりずっと天真爛漫だけど、実はけっこう気が強いし、合わないんじゃないかとはじめは思っていた。
私たちの仕事は常に忙しく、おおむね楽しかった。と同時に、嫌なこともたくさんあった。怒りや悲しみをどこにぶつければよいのかわからない、理不尽なことがたくさん。手柄を横取りされたことや、無理難題を吹っ掛けられたこと、望まぬ敗戦処理をさせられたことは、一度や二度ではない。それでも若い私たちは適度に鈍感で、いつもなにかに腹を立て、いつも手を叩いて笑ってもいた。
苦難を乗り越えることができた人とは、仲間意識が芽生えるものだ。皮肉にもキツい仕事のおかげで彼女との仲は深まり、それぞれが退社したあとも関係は続いた。
出会ってから20数年後の今夜、私は彼女に全身をくまなくもみほぐされている。まどろんだ自分のいびきが、うっすら残る意識のなかで聴こえてくるのが恥ずかしい。されど、気持ちのよさが優に上回る。こんなありさまを晒しても、彼女の前なら安心だ。格好をつける必要がまるでないから。100%とは言えないが、97%くらいは心を許しているから。
この20数年で、彼女も私も何度か職を変えた。彼女が腕のいい人気セラピストになるなんて思ってもみなかったが、彼女だって同じこと。私が国籍不明の名前で文章を書いたり、ラジオでしゃべったりするようになるとは想像していなかっただろう。人生って、本当に何が起こるかわからない。プライベートでは、私は何度かの別れと出会いを繰り返した挙句に母と実家を喪い、彼女は結婚して渡米し、帰国して離婚した。お互い、苦難の際には万障を繰り合わせて駆けつけた。励まし合って苦難を乗り越えるのが、私たちの最初からのやり方なのだ。
全身の緊張を解きほぐしてもらったあと、二人で食事に出かけることにした。鍋をつつきながら、互いの近況報告をする。遠方のリゾート地にも彼女を待つ顧客がいるので、今年に入ってからは行ったり来たりでことさら忙しいようだ。充実感にみなぎっており、本当に良かったと私も嬉しくなった。
ちょうど一年前。六本木のミッドタウンで彼女に出くわしたことがある。やや疲れているようにも見えたが、それはお互いさま。しばらく立ち話をしているうちに、彼女の声に張りが出て、笑顔が戻った。
「今日、ばったり会えてよかったよ。なんだか大丈夫な気がしてきた!」
そう言うと、彼女は颯爽と立ち去っていった。
あとから聞いた話だが、あの時は不安でいっぱいだったらしい。離婚後、セラピストとして勝負に出るため激戦区に店をかまえると決めたが、家賃が思った以上に高かった。果たして自分ひとりで賄えるのかと、気が気ではなかったそうだ。
あれから一年間、遮二無二頑張ったんだろう。いまではもうひとつ部屋を借りてもびくともしないくらい、彼女の仕事はうまくいっている。目前で肉と野菜を頬張る彼女の表情に、憂いは見当たらない。
ふと、随分昔に私が付き合っていた、彼女も良く知る相手のことを思い出し、どうしているかと尋ねてみた。
「海外に住んでるらしいよ。チラッと写真を見ただけなんだけどさ、ネルシャツを着て、胸元くらいまでボワーッと髭を伸ばしてた」
まさか!髪の毛一本から靴のつま先まで、全身すべてのパーツが「東京しか愛せない」と叫んでいるような、あのおしゃれLOVE男が?!
「人って、思いもよらない方向に変わるよね」
彼女が笑った。その通りだ。私たちだって、取捨選択を繰り返し、かなり変わったもの。
「変わってからのほうが、楽しいよね」
彼女が続ける。私は深く頷いた。
この20数年で学んだことは、一歩踏み出せば結果的にはなんとかなる、ということ。彼女も私も、踏み出したからこそ「これから先も、なんとかなる」と自分を信じられるようになった。昔ほどの気力体力はないが、「おつかれさま」と互いをねぎらいながら、我々は今日も生きている。あと20年経ったら、二人はどこでどんな風に暮らしているだろう。仕事とプライベートが大きく変わっていたとしても、こうやって変わらず鍋を囲めたら、それ以上の喜びはない。
