「映画でくつろぐ夜。」 第87夜
知らずに見ても楽しめるけど、
知ればもっと作品が奥深くなる知識、情報を
映画ライター、真魚八重子が解説。
「実は共通の世界観を持っている異なる作品」
「劇伴に使われた楽曲の歌詞とのリンク、ライトモチーフ」
「知っていたらより楽しめる歴史的背景、当時の世相、人物のモデル」
自分には関係なさそうとスルーしていたあのタイトルが、
実はドンピシャかもと興味を持ったり、
また見返してみたくなるような、そんな楽しみ方を提案します。
■■本日の作品■■
『麦秋』(1951年)
『それでもボクはやってない』(2007年)
※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。
男性も女性も生きづらい世の中で
現在公開中のパキスタン映画『ジョイランド わたしの願い』は、家父長制が残る社会のある家族を描いている。ラナ家の次男ハイダルは失業中で、父親や長兄から早く仕事を見つけろと急かされている。今は妻がメイクアップアーティストをして家計を支えているが、男家族たちはそれも良しとしない。女が仕事をして家庭に入らず、そのために夫婦は子どもを作ろうとしないので、外聞が悪いことに苛立っているのだ。ハイダルは友人の紹介でやっと劇場での仕事を見つけるが、それはトランスジェンダーの女性ビバのバックダンサーというものだった。ハイダルは戸惑いつつも、差別の中で強く生きるビバと惹かれ合っていく。
『ジョイランド わたしの願い』は女性が働きに出ることを許されない抑圧を描く。世の中には子どもを産んで育てるより、仕事に熱中する生き方を選択したい女性もいる。ハイダルが男性でありながら家族を養えないことも、家父長制が男性自身の首を絞める実態を明らかにする。ただそれでも外へ自由に出られるため、既婚者の身分でビバに惹かれてしまうわけだが……。またハイダルの堅固に見えた父にも問題が起こる。伴侶を亡くして老いた男性の孤独を巡って、癒しへの自由意志は許されない厳しさに目配せされているのも、よく出来た映画だ。男性も男らしくあらねばならない社会では、男女ともに息苦しいという、新たな着眼点の提示があって視野の広い作品だ。
もちろん女性の苦悩も相変わらず変わっていない。最近気になったのは、11月29日公開の日本映画『正体』で、弁護士が痴漢冤罪で逮捕される逸話が登場したことだった。染井為人の原作から登場する設定だが、冤罪は様々なケースがあり得るのに、痴漢を選ぶのは男性側にそれだけ女性が申告する根拠や証拠に疑心があって、痴漢冤罪が突然の恐怖と感じられているからだろう。だがわたし自身も中学校から電車通学をしていて、ゾッとするあからさまな痴漢に遭遇した経験が何度もある。そういう女性側からすると、なんだかその部分の演出だけでもモヤモヤした気分になってしまった。
2007年に公開された、周防正行監督の『それでもボクはやってない』はモデルとなる事件があり、監督としては司法の問題点を追及しようとしたとはいえ、世間に痴漢=冤罪という誤った思い込みを広く植え付けてしまった。映画自体、痴漢被害者へのケア的描写も欠けており、結果的に痴漢行為を行う犯罪者よりも、被害者の誤解を暗に責める感情をもたらすものだった。できれば違った事件での冤罪被害者を追うなど、そういった考慮がされなかったのかと疑問を感じるし、今もずっと苦い印象がある。
ちなみにこの映画より前に「痴漢えん罪被害者ネットワーク」という団体が2002年に設立された。その代表の長崎満は2003年に痴漢冤罪問題を訴えるビラを配ったあと、車内で女性のスカートの内部を盗撮し、それを目撃した男性に取り押さえられ逮捕された。この件が時間の経過とともに、「『それでもボクはやってない』のモデルの人物が盗撮で再逮捕された」という誤情報として出回った。それが間違いだと指摘される際は、女性がまたもや冤罪を犯したかのような非難が付随していた。しかしモデルの人物の尊厳が再び損なわれたのは、元々は「痴漢えん罪被害者ネットワーク」の代表者が、痴漢の再犯をしたという驚くべき事件のせいだ。本来ならこの詳細こそ風化させてはならない点だろう。
<オススメの作品>
『麦秋』(1951年)
『麦秋』
監督:小津安二郎
出演者:原節子//間宮紀子/笠智衆/間宮康一/淡島千景/田村アヤ
小津安二郎の代表作ならどれでも構わないのだが、意外に旧弊からの脱却を試みていると感じる。自由恋愛で結婚したり、子どもが老いた両親の世話をするという慣習から、老親自身が身を引いたりする過渡期を描いた作品が多い。本作も28歳で独身という、当時では嫁ぎ遅れと思われかねない原節子に対し、周囲が焦ってお見合いを進めてくるという状況を中心に描く。娘がある意味反逆のような自我を貫く姿勢や理由も、温かい気持ちになる作品だ。
『それでもボクはやってない』(2007年)
『それでもボクはやってない』
監督:周防正行
出演者:加瀬亮/瀬戸朝香/山本耕史/もたいまさこ/田中哲司/光石研
痴漢冤罪を主題にした弊害はあるが、警察の横暴で威圧的な取り調べや、誤認逮捕されてしまった時点で、すでに人権が甚だしく損なわれる描写などが、現実味のあるもので恐ろしい。結局は裁判官も人であり、思い込んだ前提や偏見を払拭するのは難しいという裁判制度の欠点も浮き彫りになっている。司法のあり方を問い直す映画としては力作だ。
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