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真魚 八重子「映画でくつろぐ夜」

真魚八重子「映画でくつろぐ夜。」 第18夜

Netflixにアマプラ、WOWOWに金ロー、YouTube。
映画を見ながら過ごす夜に憧れるけど、選択肢が多すぎて選んでいるだけで疲れちゃう。
そんなあなたにお届けする予告編だけでグッと来る映画。ぐっと来たら週末に本編を楽しむもよし、見ないままシェアするもよし。
そんな襟を正さなくても満足できる映画ライフを「キネマ旬報」や「映画秘宝」のライター真魚八重子が提案します。

■■本日の作品■■
『ロープ』(1948年)
『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2015年)

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

ワンカットと映画

 映画の宣伝文句や映画評で「長回し」や「ワンカット」という表現を目にする機会があると思う。映画ファンならご存じだろうが、一般的には聞き覚えはある言葉だけれど、ぼんやりした理解という方も多いのではないだろうか。まず、長回しとワンカットは同じ意味で、言葉通りにひとつのシーンを一台のカメラで切れ目なく撮影することだ。もしシーンが連続していても、途中でカットをかけて編集でつないだものならワンカットとは呼ばない。

 カットをかければ、技術的には負担が減る。俳優も細かな演技設計がしやすいし、カメラを動かすのも撮影の合間ならやりやすい。特に撮影場所が変わるなら、準備のためにもシーンを分けたほうが安全だ。

 けれど、もし長回しを行ってそれが10分間の設定だったら、10分間ぶんのカメラや俳優の動き全部を、最初に段取りしなくてはならない。ワンカット中にたとえば車の事故を起こすシーンがあって、そこを無事撮り終えたとしても、そのあとに誰か一人でもNGを出してしまったら、そこまでの撮影がおじゃんになってしまう。新車を用意し、道を事故が起こる前の状態に戻して、また一から撮影することになるのだ。

 なぜ、わざわざそんなカセを自分たちにはめたりするのだろうか。不思議なものだが、やはり仕事に慣れてくると、次第に限界へ挑戦する緊張感や達成感が欲しくなるのだ。ワンカットの基本は、演劇やライブの興奮と似ている。ステージ上で一瞬にして衣装を変えたり、歌いながら大道具が変化して場面転換したりする、ごまかしのきかない大胆さと失敗したら全部台無しだとハラハラするスリル。さらに演劇は限定された空間での省略の芸術だが、映画はリアルな再現によって空間も広く、負担はより増す。人間はわざわざ緊張が高まるほどに興奮するようだ。

 そのワンカットも技術の進歩とともに変化している。昔、映画はフィルムで撮影していた。フィルムはカメラにセットできる量に物理的な限界があって、それが約20分だ。そのため、長回しも20分以内でしかあり得なかった。映画史においてワンカットで有名な映画に、アルフレッド・ヒッチコックの『ロープ』(48年)がある。この作品は10分程度の長回しのシーンの連続で作られており、そのつなぎの部分も切り替わったと感じさせない演出が取られている。さらに、ヒッチコックは映画内の時間の経過を、ほとんどフィルムの進行通りにした。そのため、ヒッチコックの狙った意図は全編ワンカットに見える作品だったとわかる。

 近年のワンカットでもっとも話題になったのは、サム・メンデス監督の『1917 命をかけた伝令』(19年)だろう。こちらも長回しを多用し、さらにカットのつなぎ目も暗転やCGで処理をして、全編がワンカットに見える造りになっている。さきほど、ヒッチコックの解説で「時間の経過が進行通り」と書いたが、ワンカットであっても時間がはしょられることは結構ある。この『1917』も119分の作品なのだが、映画内で疑似ワンカットによる夜更けから夜明けまでを迎えるので、時間の進み具合が現実とは異なっている。

 次回も面白い長回し作品を紹介したいと思う。

<オススメの作品>
『ロープ』(1948年)

『ロープ』

監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:アーサー・ローレンツ
出演者:ジェームズ・スチュワート/ファーリー・グレンジャー/ジョン・ドール/サー・セドリック・ハードウィック

 サスペンスの巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督の作品。マンションの一室を舞台にした演劇的な設定なのは、元々は同名の舞台劇であったのを映画化したためだ。この物語は1924年に実際に起きた、少年の誘拐殺人事件「レオポルドとローブ事件」を元にしている。レオポルドとローブは裕福な家庭に生まれた青年たちで、同性愛の関係にあった。二人は自分たちの知性をもってすれば完全犯罪を行えると思い、他者を優越することを立証するために殺害を行った。

 ヒッチコックの中では筆頭にあがる作品ではないかもしれないし、スリルの連続といった内容ではない。だが、ヒッチコックが映画的なメリハリをつけるよりも、会話劇で少ない登場人物の力関係を表そうとした、心理劇の要素が強い野心作だ。

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(2015年)

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演者:マイケル・キートン/エマ・ストーン/エドワード・ノートン/ナオミ・ワッツ

 監督はメキシコ出身のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。本作と、続く『レヴェナント: 蘇えりし者』が賞レースで圧倒的な力を見せつけて、いまや世界的な巨匠となった。

 『バードマン』は疑似も使った全編ワンカットの作品だ。なぜ疑似かというと、実際はカットをかけてシーンは分けて撮影しているが、つなぎ目をCGで処理してわからなくしているから。でも、だからといって(なんだあ、疑似か)というものではない。つなぎ目は時々しかないので、実際には大変な長回しが何度も行われている。この作品ではカメラの移動撮影も多いので、カメラをかついだまま、ピントをボケさせることなく対象を追い続けるのは、カメラマンにとっても重労働である。長回しとは、結構無茶をする野蛮な撮影なところが面白い。

※配信サービスに付随する視聴料・契約が必要となる場合があります。

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ライター紹介

真魚 八重子
映画ライター
映画評論家。朝日新聞やぴあ、『週刊文春CINEMA!』などで映画に関する原稿を中心に執筆。
著書に『映画系女子がゆく!』(青弓社)、『血とエロスはいとこ同士 エモーショナル・ムーヴィ宣言』(Pヴァイン)等がある。2022年11月2日には初エッセイ『心の壊し方日記』(左右社)が発売。
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