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「なるべく豪華な晩餐を」

たべるときに思ったあんなこと、こんなこと。
生きていくためには食べなきゃいけない。食べるためには生きなきゃいけない。
でもせっかくならいい気分で食べたいよね。食べながら素敵なことに思いを馳せたいよね。
なるべく豪華な晩餐を。
モモコグミカンパニーが綴る、食事をきっかけにはじまる美味しい感じのエッセイです。

「消えた、あの街の喫茶店」

最近、某雑誌から思い出の喫茶店をいくつか教えて欲しいという依頼をいただいた。喫茶店と言えば、私は『コーヒーと失恋話』という飲食店(主に喫茶店)の取材と短編小説を掛け合わせた本を出しているが、今回はせっかくならそこに載せていない店の方を紹介したいと考えた。しかし、今通っている喫茶店ではなく、過去に通っていた思い出の喫茶店となるとなかなかパッと思い出せるものではなかった。そこで、私はあるノートの存在を思い出した。それは大学生で一人暮らしを始めた頃、誰に見せるわけでもなく、個人的につけていたノートで当時訪れた喫茶店についてそれぞれ1ページほど、エッセイ調で書いたものだ。ノートには、約20程の店について書き残していた。ノートを捲りながら、もう何年も前で写真こそ残していなかったが、その文章だけで、その店の内装や雰囲気まで鮮やかに甦ってきた。
雑誌の企画では、思い出がありかつ現在も継続して営業していることが必要だった。早速、候補を絞りながらネットで店舗名を検索してみる。すると、ほとんどのお店が閉店してしまっているようだった。私の中では、まだどの店も生き生きとしていて、いつかまた顔を出そうと思っていたのに、この事実は衝撃的だった。閉店してしまった店舗の口コミを見ると、【おかあさん、大好きでしたよ。ありがとう。】や【あまり教えたくない特別な場所だった。閉店とても残念です。】という感謝や閉店を惜しむコメントが書かれていて胸が締めつけられる気持ちになった。
喫茶店を長く続かせることは、思ったより大変なことなのだろう。閉店の理由は、店が入っていたビルの建て替えによって立ち退きが余儀なくされたり、店主の体調不良や、経営不振など様々な事情が挙げられるだろう。老舗の喫茶店はよくメディアにも取り上げられていて目立つが、有名店はそんな風に公にでることも上手く使っているのも長く続いている理由の一つかもしれない。しかし、純喫茶には客をわざわざ増やしたくないからと取材を一切断っている店も多い。現に、ノートに書いてある店でまだ現役の店は今もよくメディアに登場するような有名店ばかりだった。しかし、閉鎖的なところも純喫茶の醍醐味だからなかなか難しい問題だなとも思う。
そのノートに登場する店は中央線沿いが多い。それは、大学のある三鷹で一人暮らしを始めたからだ。私は出身も育ちも東京だが、元々一人暮らしに憧れがあったため、大学に入ってすぐ三鷹駅が最寄りのアパートを借りた。長年お世話になった実家にもあまり未練はなかったし、一人になったところでさほど変わるものでもないだろうと何も心配していなかった。しかし、いざ一人暮らしを初めてみると、私は寂しくて寂しくて仕方がなかった。特に、学校から帰ってきたあと、夜までしんとした部屋に一人きりでいると心が押しつぶされそうになった。ただ、意気込んで実家を出た手前、戻りたいとは思わなかった。すぐ帰れる距離だからこそ、この街で一人で生き抜くのだと言う思いも強かった。
そんな一人の寂しさに耐えかねて、私は家で自炊するよりもよく外食をするようになっていた。特段、店の人や他の客と話したり、常連になったりということはなかったけれど、同じ空間に誰かがいたり、お店の人に食べ物を提供してもらうだけで、自分の中の空白が満たされる気持ちになった。だからこそ、当時出会った店を書き残しておきたいと思ったのだろう。
ノートには、店で私が感じたことが綴られている。例えば、学校に向かう前に新聞を広げるサラリーマンの人たちに混ざってモーニングを食べた喫茶店では、忙しない朝でも少し早起きしてゆっくりとした時間を作って自分を整えることの大切さについて。雑誌に載っていた喫茶店を目指していたのに途中で携帯の充電がなくなって道に迷った結果たどり着いた、本来の目的とは別の喫茶店では「自分が決めていた未来と違っても本来の目的に固執せずにこっちも良い、と受け入れよう」と思ったこと。たまの休日にいく家の近くの喫茶店では、マスターの笑顔が本当に素敵で、私はここにいていいんだと強く思わせてくれたこと。
そんなふうに当時の私の心を支えてくれていたお店がなくなってしまったことは、やっぱりとても悲しいことだった。その店の人は、私のことは覚えていないだろうがせめての恩返しとしてもう一度お店を訪問しておきたかった。しかしこれは、いくら悔やんでも仕方のないことだ。
ただ一つ思うのは、そのかけがえのない店に出会えたのも、私が憧れの一人暮らしの部屋の片隅で、ただメソメソと泣いていたのではなく、その空白を埋めるものを求め外に繰り出したからだということ。
当時の私は、家以外の自分の居場所を見つけようと必死だった。
ただその日、その時の、「いってらっしゃい」や「おやすみ」、ここにいてもいいと心から安心できる場所。それは、「誰か」なんだけど特定の一人でもないし、「どこか」なんだけど特定の場所でなくてもいい。その時々、その場その場で移り変わるものであっていいのだと思う。
一人暮らしにもずいぶん慣れた今でも、そんなものを変わらずに私は探している。
そしてこの探求は、きっと生きている間、終わることはないのかもしれないとも思う。
今日食べるものは自分で決める。そんな小さなことだって自分の足で歩くということ。
イマイチな今日だって、心もち一つでまだいい日にできるかもしれない。
特別な今日じゃなくても、頑張れなかった一日でも。一人きりだっていい。
今夜は、なるべく豪華な晩餐を。

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ライター紹介

モモコグミカンパニー
ICU(国際基督教大学)卒業

大ヒット曲を連発して各メディアで活躍し、2023年6月29日に解散したBiSHのメンバー。
メンバーの中で最も多くの楽曲の作詞を担当。
独自の世界観で圧倒的な支持を集めた。

"物書き"としての才能は作詞だけではなく、
2022年には『御伽の国のみくる』で小説家デビュー。
これまでエッセイ3冊、小説2冊の執筆を行い、
2024年5月20日には自身初の短編小説集「コーヒーと失恋話」を発売。
BiSH解散後は、執筆活動やメディア出演を中心に文化人として活動。

【X】@GUMi_BiSH
【Instagram】@comp.anythinq_
【blog】https://momoko-gules.vercel.app/
【FanClub】https://company-fc.jp/
久野里花子
イラストレーター・グラフィックデザイナー
1993年生まれ 愛知県出身
デザイン事務所を経て、2020年にフリーランス へ転身
書籍の挿絵やエディトリアルデザインを中心に活動中。

【X】@kuno_noco
【Instagram】nocochan_1213
【Tumblr】https://rikakokuno.tumblr.com
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