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「なるべく豪華な晩餐を」

たべるときに思ったあんなこと、こんなこと。
生きていくためには食べなきゃいけない。食べるためには生きなきゃいけない。
でもせっかくならいい気分で食べたいよね。食べながら素敵なことに思いを馳せたいよね。
なるべく豪華な晩餐を。
モモコグミカンパニーが綴る、食事をきっかけにはじまる美味しい感じのエッセイです。

星一つの純喫茶

12月のある昼下がり、行きつけの美容院に行くため銀座に訪れた。時刻は12時過ぎ、美容院の予約の時間まではあと3時間弱ある。
銀座には普段美容院以外の目的で行くことはなく、いつも予約時間に合わせて行って、終わったらすぐに帰っていた。だけど今日は天気も良く、早めに行って銀座を少し街ブラしようと考えていた。休日なこともあり、大通りは沢山の人で賑わっている。外国人観光客も多く、様々な言語が混ざり合って聞こえてくる。なんだか、歩いているだけで目が回りそうな気分だ。
どこかで休憩しよう。
お高めのランチから、よく見るチェーン店、時間を潰すための場所は沢山ある。しかし、ガッツリと昼飯を食べるほどお腹は空いていなかったため、地図アプリで見つけた徒歩5分ほどのチェーンカフェまで歩いて行く事にした。他の地域で訪れたことのあるチェーンカフェでも、銀座だと店の作りが他よりも高級感漂う感じがするから足を運ぶ価値は十分にある。
目的地へとしばらく歩いていたが、なかなかカフェを見つけられない。おかしいと思い、地図アプリを再び開くと完全に反対方向に歩いてしまっていた。
今の地点からだと予定していた倍の時間がかかりそうだった。諦めて別の店に入ろうかと周囲を見渡すと、純喫茶の看板を見つけた。その店は、階段を下った地下2階にあるようだった。看板からのみでもそのノスタルジックな雰囲気が伝わってくるから、きっと素敵なお店なのだろう。しかし、初めて行く店なうえ、地下であれば中の様子も分からないし、一度店に入ってしまったら簡単に出ることもできなそうだ。入るには少し勇気がいる。
私は看板の前で立ち止まって、その店の名前をスマホで検索してみる。「なんとなく良さそう」という自分の勘だけを頼りにするには私も度胸が足りない。今の時代、どこの店も口コミが書かれている。が、最初に目に飛び込んできたものを見て、私は落胆した。ピックアップされていた口コミは、なんと星一つの悪評だった。
【★ とにかく店員の態度がよくない。静かに過ごしたかったため、他の賑やかな客を注意してほしいと頼んだが、逆にこちらが怒られた。静かに読書の時間を過ごしたかったのに残念だった。】
この口コミ一つだけなら、目を瞑ろうかと思ったが悪評はこれだけではなかった。
【★ 少し話していただけなのに、スタッフに厳しく注意された。内装は素敵だった】こちらは先ほどのものとは逆の内容のコメントだ。私は混乱した。しかし、悪評を書く人が昂った感情に任せて投稿している可能性もある。純喫茶には、ルールが多いところもあるし、何か誤解を招いた可能性もある。この口コミだけを信じて断念するのも勿体無い気がする。サイトに載っているアンティーク調のこだわりの内装写真は本当に素敵だし、パンケーキも美味しそうだ。それに、本当に悪かったのは口コミ主かそれとも店員だったのか、この目で見て確かめたい気持ちもあった。私は恐る恐る中へ入ってみることにした。
地下二階へと下ると、お爺さんが店前に置いている看板の傾いてしまった文字を丁寧に修繕している最中だった。おそらく店のマスターだろう。60代後半〜70代前半くらいで、シックなベストとシャツに身を包んで小綺麗にしている。軽く目が合い、会釈をしたがあまり反応はなかった。口コミに書かれていた厳しい店員というのは、この人のことだろうか。緊張で背筋が伸びる。
店の扉は開放されていて、中からはゆったりとした曲調のクラシックピアノが聞こえてくる。マスターに存在を確認されてしまったし、いよいよ引き返すことはできない。店の中へ入ると、マダムが優しく声をかけてくれた。先ほどのマスターと同じくらいの世代で、肩くらいまで伸ばした白髪を後ろで結って黒のワンピースを着ていかにも銀座に相応しい気品漂う女性だ。
この老夫婦が店を営んでいるのだろう。仄暗い店内は思ったよりも広々としている。アンティーク調で揃えた家具はこだわりを感じ、写真で見るよりも数段雰囲気があり素敵だった。
先客は1人のみ。文庫本を広げてハットを被った同じく銀座が似合う上品なお爺さんだ。滲み出る生粋の品の良さとこなれ感が漂っている。マスター・マダムと時折親しげに話す様子からも、きっとここの常連さんなのだろう。
私は、マダムに案内された席に座る。地下の店は、雨も風も晴れにも影響されることもない。ならではの非日常と安心感があり、先ほどまでの街の喧騒も忘れさせてくれる。
店内の雰囲気をしみじみと味わいながらメニューを広げた。コーヒーは一杯1000円から、目当てのパンケーキにもいくつか種類がある。少しして、マダムが水を運んできてくれた。そこで、私は店に入る前からほんのり心配だったことを少しの希望を込めて聞いてみる。
「ここ、カードいけますか?」
すると案の定、「現金払いのみです」と返ってくる。一度、ATMの場所まで行くと、もうこの店を見つけられない気がして、勢いで入店してしまったのだ。
「出直してきます」
私は荷物を持って扉へ向かう。店前の看板は綺麗に修正されていた。あの無愛想なマスターのこの店への愛情が伝わってくるようだ。きっとあの悪評のことも、店を大事に思うがゆえに起きてしまったことかもしれないと思った。
やっと見つけたコンビニで慌ただしく現金を下ろす自分は、銀座に似つかわしくないなあと思いながらも、早足に喫茶店へ戻る。時間は限られているのだ。
恥じらいと共に再び入店すると「また来てくれて嬉しいです」とマダムが優しい笑顔で迎えてくれた。私は、コーヒーとパンケーキの一番シンプルなセットを注文し、一度深呼吸をした。
さて、これまでの小さな失敗は忘れて気を取り直そう。ここは銀座の純喫茶なのだ。それから、いつも首にかけているワイヤレスイヤホンを外し、タブレットを開く代わりに、鞄からノート、ペン、文庫本を取り出した。電波は問題なくあったが、素敵な店内の景観を乱す訳にはいかないのだ。
しばらくすると、先客の上品なお爺さんがレジに向かい、店を出る際マダムに向かってハットを取って一礼をして扉へと向かっていた。
うんうん。私はその姿を見て心の中で大きく頷いた。これが銀座の純喫茶。私もここにいる間だけでもこの場所に似つかわしい客にならなければ。
お爺さんと入れ替わりに、メガネをかけた中年女性2人組と、その後に若い女性と小太りの中年男性が親しげな様子で入ってきた。パパ活だろうか?なんとなくそんな違和感があった。
他にも席は空いているのに、その二組はよりによって、私の周辺の席に落ち着いた。
「まーそう!」「えー!そうなの!?それでそれで?」
メガネの女性二人は席につくなり、店内のピアノの音色を掻き消すくらい大きな声で子供の話や噂話で盛り上がり、パパ活疑惑の二人は女の子が今度引っ越したいという家の家賃の話を持ち出し、その資金をねだっている。
違う、違う!私は心の中で荒々しく首を振った。こんなんじゃ他のチェーンのカフェと変わらないじゃないか。ここは、銀座の純喫茶なのに!!!
カウンター越しにコーヒーを淹れるマスター・マダムに視線を送ってみるが、彼らは特に何も気にしていないようだ。もしかして、あのネットの口コミを見て騒がしい客を注意することをやめてしまったのだろうか?そもそも、彼らはあの口コミにも気がついていない可能性もあるが……。
私の心はざわめいていたが、とりあえず運ばれてきたバターの乗ったパンケーキにメイプルシロップを掛けて一口頬張り、コーヒーに口をつけた。
うん、見栄えの良さを裏切らない、文句なしのおいしさ。現金を下ろしに行った甲斐があった。この店が星一つな訳がない。私は、マスター・マダムに同情した。たった一度の経験で投稿されたあの口コミは今でも、店の名前とセットで、検索すれば誰もが目にするのだ。何かトラブルがあったことは事実だったかもしれない。しかし、口コミ主はそれ以来この店を訪れなくても、マスター・マダムはほぼ毎日この店を営んでいるのだ。
最近は、SNSでも店から理不尽な対応を受けたという悪評が拡散されているのをよく見る。しかし、何でもかんでも、「こんなことをされた!」「こんな目に遭った!」とネットで告げ口するのはいかがなものだろう。確かに、嫌な思いをさせられたら何も言わずに泣き寝入りするのは悔しいし、それが正しいとは限らない。しかし、そのことをネットに書き込み世界に発信する必要はあっただろうか?発信する前に実際の現場で問題を解決するための会話はあっただろうか?当事者同士は冷静に話せなかったとしても、周りの客観的に見れる客に助けは求められなかったのだろうか?もちろん、やむを得ないこともあるだろうが一旦落ち着いて、直接話し合って解決することもできたかもしれない。この店のマスター・マダムならその場で話し合うことだって可能だった気がする。
女性2人の鬱憤を晴らすだけのようなおしゃべりと、パパ活カップルの下世話な話が聞こえてくる。二組ともお互いの話を聞いているようで、聞いていない。やはり人は誰でも自分の話を聞いて欲しい、聞いて欲しくてたまらないのだ。
しかしこれは「会話」と言えるのだろうか……?
少しして、新しく入店してきた老夫婦の客がまた近くの席に座った。仲の良さそうなその夫婦は、「この後、カラオケに行かない?」と話している。
その穏やかな空気に、私の逆立った神経が宥められていく。
銀座でも、結局人は人。いろんな人がいて当たり前だ。
されど、銀座。
多少のことで神経を擦り減らすことなく、懐の深さと少しの余裕を持ちたいものだ。そう、店を出る時に、ハットを外して一礼したあの常連さんみたいに。

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ライター紹介

モモコグミカンパニー
ICU(国際基督教大学)卒業

大ヒット曲を連発して各メディアで活躍し、2023年6月29日に解散したBiSHのメンバー。
メンバーの中で最も多くの楽曲の作詞を担当。
独自の世界観で圧倒的な支持を集めた。

"物書き"としての才能は作詞だけではなく、
2022年には『御伽の国のみくる』で小説家デビュー。
これまでエッセイ3冊、小説2冊の執筆を行い、
2024年5月20日には自身初の短編小説集「コーヒーと失恋話」を発売。
BiSH解散後は、執筆活動やメディア出演を中心に文化人として活動。

【X】@GUMi_BiSH
【Instagram】@comp.anythinq_
【blog】https://momoko-gules.vercel.app/
【FanClub】https://company-fc.jp/
久野里花子
イラストレーター・グラフィックデザイナー
1993年生まれ 愛知県出身
デザイン事務所を経て、2020年にフリーランス へ転身
書籍の挿絵やエディトリアルデザインを中心に活動中。

【X】@kuno_noco
【Instagram】nocochan_1213
【Tumblr】https://rikakokuno.tumblr.com
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