「雨の夜にだけ会いましょう」
「定期的に集まろうぜ」と言い出した飲み会は二回目が開催されない。
仕事も遊びの約束も、数週間先の予定を詰められるとなんだか心が重くなる。
「もっと雑で、ちょうどいいこと」を求めて、無責任な願望を言葉にしてみるカツセマサヒコの妄想コラム連載です。
第21夜 あの釣り堀で人生を無駄にするのさ
今年も、もう終わります。やっと終わる、と考えることもできます。長かったようで、短かったような。世界にも社会にも自分にもいろんなことが起こりすぎて、正直へとへとではないですか。
年末年始に気を抜くと、新年の始業が本当にきついです。人生で一番しんどい日は、会社員の年始一発目の勤務日で間違いないと思います。「あけましておめでとうございます〜」と上司や同僚に深々と頭を下げながら、はて? 労働ってどうやるんだっけ? とすっかりド忘れしてしまった脳みそを叩き起こしたりするのでしょう。考えるだけで頭が痛くなってきやがる。
だから、新年初っ端の勤務日から、釣り堀に行きたい。
あなたの学校や会社の近くに、釣り堀はありませんか。いや、近くなくても、電車で一時間くらいのところに、調べたら存在したりしませんか。
そこです。その釣り堀に、行くのです。できればスーツで、行くのです。
出勤初日ですから、電車に乗る人たちはみんな普段以上に疲れた顔をしています。年末年始の休暇でリフレッシュできた人間なんてこの歴史が始まって以来一人たりとも存在していません。もはや電車ごと疲れています。
その人たちを小馬鹿にするような目で見つめながら、私は釣り堀へ向かいます。スーツを着ていますから、一見ただの社会人に見えますが、しかし、その表情たるや。これはどう見たって会社には行かなそうだぞ? ではどこへ行くんだ? 周りは私を羨望の眼差しで見つめます。
そして、途中下車。当然、自分以外にはほっとんど誰もいない釣り堀には、年始のだる〜い空気をさらに何倍か濃くしたような、怠惰の成れの果てのような景色が広がっています。
いちじかん、ごひゃくえん。
手書きで書かれた看板を見て、受付にいるお爺さんに、1000円札を渡します。
「とりあえず、二時間で」
「うい」
本当は八時間と言いたいところですが、まずは様子見といきましょう。竿と練り餌を受け取ると、いくつか分かれている堀へと向かいます。どこがいいかな、どこがいいかな、と一つ一つ水面を覗き見るように歩いていると、すでに先客がいる堀が一箇所だけありました。四十代くらいでしょうか。バキッと固めた7:3の黒髪がトレードマークの、いかにも営業マンっぽい屈強なスーツの男性が、静かに釣り竿を垂らして瓶ビールケースに座っています。
「おや、あなたも出勤日初日おサボり倶楽部ですか」
「出勤日初日おサボり倶楽部……?」
いきなり挨拶もなしにぶっ込むことで、相手をビビらせましょう。
「俺もね、あなたと同じです。この資本主義社会にささやかな反抗をしたくて、こうして勤務日初日に有給をかまし、魚と戯れようとしているんですよ」
「はあ」
世の中いろんなやつがいるわな、と思わせたら勝ちです。スーツの男性は私から少し離れるように席を移動すると、練り餌を針につけ始めました。
「ここは、何が釣れるんですか?」
素朴な疑問をぶつけてみると、リーマンは少しだけ安心したように言いました。
「フナです。ここの釣り堀はね、ヌシがいるんです」
「ヌシですか」
「ええ。フナなのに、四メートルは超えます」
「四メートル????」
ギネスもいいとこじゃねえか。そんな化け物が釣り堀なんかにいたら、もっと話題になっても良さそうなものですが。私は疑いながらも、調子良く話を合わせてヘラヘラと笑いました。これってもう会社でやってることと変わらなくない? と思いながら、その疑問もまた笑顔に封じ込めたまま、水面を見つめます。
「いいですね。こうやって無駄な時間を過ごすと、社会がいかに無意味か気付かされますね」
まるでタワマン最上階から高みの見物でもしているかのように私がつぶやいてみると、リーマンは不意に、悲しい顔になりました。なぜだろう?と、試しにスーツを着ている理由を質問してみると、「実家で暮らしているんだけど、会社をクビになった。親にそのことがバレるのが怖くて、一ヶ月以上この釣り堀にいる」と、完全に予想外のエピソードを聞かせてくれました。
リーマンが竿を投げます。ぽちゃんと音がして、しかし当然、すぐには何も釣れません。
「ヌシが釣れたら、その時は会社に行こうと思うんですよ」
ぽつりとつぶやいたその言葉に、哀愁が漂います。しかし、それが合言葉にでもなったのでしょうか。ふと、私の釣り糸が、明らかに重たい感触に捕まりました。
「え、何これ?」
途端にものすごい速さで引っ張られます。水中で渦を起こすように、竿が左右にぶんぶんと振り回されていきます。
「ヌシだーーーー!!!!!」
XJAPANの紅を彷彿とさせるシャウト。リーマンが立ち上がって叫ぶと、受付のお爺さんまで出てきて、何やら大パニックになってきました。「竿を離すな!」「腰を落とせ!」「気合を入れろ!」男たちの怒鳴り声のような声援が、飛び交います。
こんなの無理だろ! と思っていると、竿を持った私の後ろに、リーマンがきました。そしてさらにその背後には、受付の爺さんまで、私を抱えるように立ちました。まるで令和版・大きなかぶです。
「うんとこしょ! どっこいしょ!」
その直後、水面から、確かに四メートル近くありそうなフナが顔を出しました。
「やったあー!」
全力で叫んだ、その瞬間。
「嫌だー!!!!!!!!!」
再び、XJAPANみのある叫び声。
背後にいたリーマンが私の釣り竿を奪い、あっという間に手刀で真っ二つに割りました。
「これが、これが、絶対に働きたくない人間の強さだーー!」
こんなにダサい決め台詞、かつてあったでしょうか(いや、ない)。この瞬間、私はようやく、この釣り堀の本当のヌシは誰なのか、理解できた気がしました。
そして、やっぱり働いた方がいいな、今年も、と思わされてしまったのでした。
このくらい。このくらい雑でなんだかよくわからない出来事が、来年あたりで起こりますように。それではみなさん、良いお年を。