ちょっと気楽になった夜
お悩み相談の痛快なアドバイスが人気。
人生の格言で多くの人の心を動かすDJあおいが
あなたの夜をちょっと気楽にします。
【話をするための、愛すべき言い訳】
この世で最も贅沢で、最も楽しい娯楽とは何か
私はそれを『話をすること』ではないかと思っています
週末になると、多くの人が海へ車を走らせたり
評判のカフェに行列を作ったりしますよね
SNSを開けば、美しい水平線の写真や、手の込んだラテアートの画像が溢れています
表向きの理由は、きっと『絶景を見るため』や『美味しいケーキを食べるため』
または『SNSに載せる写真や動画を撮るため』なのでしょう
でも、私は常々こう思ってしまいます
『それは、誰かと話をするための言い訳に過ぎないのではないか』と
私たちが本当に欲しているのは、移動や飲食という行為そのものではなく
それを口実にして手に入る『終わりのない会話』の時間なのだと思います
極端なことを言えば、助手席からの眺めがただのトンネルの壁であっても、目の前のコーヒーが泥水のように不味かったとしても、会話というセッションさえ最高潮に達すれば、その日は『最高の一日』として記憶されるのですから
ドライブも、カフェも、旅行も、すべては話をするための『言い訳』に過ぎません
なぜ、わざわざガソリンを使い、決して安くはないコーヒー代を払ってまで場所を変えるのでしょうか
それはきっと、『素面のまま、向き合って話すこと』の照れくささを知っているからだと思うのです
何もない部屋で、パイプ椅子を二つ並べて『さあ、語り合ってください』と言われても、言葉に詰まってしまいますよね
視線のやり場に困り、沈黙が重くのしかかってくるはずです
だからこそ、『舞台』が必要になるわけですね
その点において、自動車という発明は奇跡ですよね
密室でありながら、窓の外には常に新しい景色が流れています
運転席と助手席、二人の視線は同じ方向を向き、互いの表情を凝視する必要がありません
この視線のズレがもたらす安心感は絶大です
沈黙が訪れても、それは気まずい空白ではなく、流れる景色を楽しむための時間として肯定されるのですから
カフェもまた、優秀な共犯者です
周囲の雑踏は、二人だけの会話を包み込むカーテンの役割を果たしてくれますし、手持ち無沙汰になればカップに口をつける動作が、会話のちょうどいい句読点になってくれます
こうした『逃げ場』が用意されているからこそ、逆説的に逃げることを忘れて相手との対話に没頭できるのではないでしょうか
舞台が整えば、そこから始まるのは台本のない即興劇です
これこそが、会話がスリリングである理由です
映画や小説には結末がありますが、会話にはありません
自分が投げかけた言葉に対し、相手がどう打ち返してくるか
それは予測不能のラリーです
笑い話のつもりで振った話題が深刻な人生相談に発展することもあれば
真面目な議論をしていたはずが、些細な駄洒落で大爆笑に終わることだってあります
相手という鏡を通して、自分自身の思考が予期せぬ形になって跳ね返ってくる瞬間、『あ、自分はこんなことを考えていたんだ』と、自分の発した言葉に自分自身が驚かされる瞬間
その知的興奮は、どんなミステリー小説よりも刺激的だと思っています
気がつけば数時間が経過し、喉が渇いていることにさえ気づかない
脳内物質が駆け巡り、時間は歪み、私たちは一種のトランス状態にあるのです
しかし、この娯楽のさらに不思議な点は、それが単なる『興奮』だけでは終わらないことにあります
ジェットコースターやお化け屋敷のスリルとは、決定的に質が違う
会話の中では、腹を抱えて笑い、時に熱く激論を交わし、脳をフル回転させています
それなのに、店を出て夜風に当たったとき、そこに残っているのは疲労困憊ではなく、驚くほど深い『安らぎ』なんです
それは長く温泉に浸かった後のような、心地よい脱力感に似ています
ここに、会話という娯楽のパラドックス(逆説)があるように思います
それはスリリングでありながら、同時に最高のリラクゼーションでもある
社会生活を送る中で、私たちは知らず知らずのうちに重たい装備を着込んでいます
職場の肩書き、良き友人としての仮面、大人としての分別
しかし、波長の合う相手との、守られた空間での会話は、その鎧を一枚ずつ剥がしていく作業に他なりません
とりとめのない言葉を吐き出すたびに、心に溜まっていた澱が少しずつ濾過されていくような感覚
誰かに自分の言葉を受け止めてもらうこと、ただ『それな』と頷いてもらうことは、凝り固まった心の肩凝りを揉みほぐすマッサージなのです
『わかってもらえた』という安堵感
『自分は一人ではない』という確認
それは、どんな高級リゾートのエステよりも、疲れた現代人の魂を深く癒やす力を持っているのではないでしょうか
脳は程よく活性化し、気持ちは深く深呼吸をしている
この『刺激』と『癒やし』が同時に訪れる稀有な体験こそが、私たちが会話という行為に依存し、飽きもせず誰かを誘い続ける理由なのだと思います
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいます
車のエンジンを切り、あるいはカフェの会計を済ませ、それぞれの日常へと帰っていく瞬間、ふと寂しさが胸をよぎることもあるでしょう
話した内容のほとんどは、翌日になれば忘れてしまうような他愛のないことかもしれません
けれど、記憶の奥に残る温かい余韻だけは消えません
その余韻が、明日という戦場へ向かうための燃料になるのです
さて、次はどんな言い訳を用意しましょうか
少し遠くの海が見たいと言いましょうか
それとも、新しいカフェができたと誘ってみましょうか
もちろん、本当の目的は一つしかないのですけれど



