
ちょっと気楽になった夜
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『普通』という基準が辛い
メディアやネットで刷り込まれた『普通』という基準が非常に高いような気がします。
メディアや広告は理想化された生活や外見、成功のイメージを描くことが多く、これらは編集や演出が施されており現実とは異なりますが、見る側はそれが一般的な『普通』だと錯覚してしまいます。
またソーシャルメディアの普及により、人々は他者の生活や成功を直接見る機会が増えました。
見せられるのは通常ポジティブな側面だけなので、それが『普通』だと錯覚してしまいます。
実際の『普通』とはかけ離れているのに、その価値観の刷り込みによっていちいち劣等感を覚えてしまいますよね。
シーズンごとに新作の服や靴を買ったり、なかなかのお値段のコスメを揃えたり、週に何度か友人と外食をしたり、年に一度は旅行に行ったり、お財布の中身を気にせずフラッとカフェに立ち寄ったり、それって体感で言うと年収1000万の生活なんですよ それが『普通』という基準になっていることに違和感を感じます。
また容姿にしても人々が思い描く『普通の容姿』って、リアルな基準で照らし合わせてみると、バチバチの美男美女なんですよね。
そんなものを『普通』にされたら、自分の見た目すらコンプレックスに感じて鏡を見る度に残念な気持ちになってしまいます。
それでもやっぱり『普通』の顔をして、『普通』の生活をして、『吾輩は普通である』という余裕の顔をして生きていきたいじゃないですか。
爪の先に火を灯すように必死こいて家計を切り詰めて、毎月ギリギリの崖っぷちまで追い込んで、青息吐息でヒイコラしながら『普通』を演じているわけじゃないですか。
精一杯なら精一杯の顔をしていればいいのに、精一杯のくせに『普通』の顔をしているって辛すぎません?
メディアやネットが垂れ流す『普通』が実際の『普通』とかけ離れているせいで、私たちは感じなくてもいい劣等感を感じ、しなくてもいい努力をさせられて、無駄な消費活動をさせられているんですよ。
本当の『普通』は多様であるべきで、経済力やライフスタイルの違いに関わらず、個々人が自分らしく生きることが尊重されるべきで、ひとりひとりが異なる『普通』を持つべきなんですよね。
怠けすぎず頑張りすぎず、ちょうどいい塩梅にチューニングして、それで得た結果が分相応という自分なりの『普通』になるんじゃないですかね。
そしてその自分なりの『普通』に自身のアイデンティティを乗せることができれば、それが『自分らしさ』になるような気がします。
いつの間にか刷り込まれた『普通』という名の呪いは早めに解いておいた方がいいのかもしれませんね。
