
「なるべく豪華な晩餐を」
たべるときに思ったあんなこと、こんなこと。
生きていくためには食べなきゃいけない。食べるためには生きなきゃいけない。
でもせっかくならいい気分で食べたいよね。食べながら素敵なことに思いを馳せたいよね。
なるべく豪華な晩餐を。
モモコグミカンパニーが綴る、食事をきっかけにはじまる美味しい感じのエッセイです。
〜 異文化年越しパーティー 〜
年末にアメリカの大学院に通う親友に会いに、ロサンゼルスに遊びに行った時の話。
31日の夜、友達の留学生の仲間の家で年越しパーティーがあった。それぞれ料理を持ち寄って食事をするということだった。その会に、私も一緒に行くことにした。時刻は19時。お呼ばれしたお家に着くと、すでに会は開かれていた。パーティーといっても人数は、私たち含めて6人。他のメンバーは、中国人と韓国人の留学生の子が合わせて3人、その中の一人の母親、そして日本人の私たち二人だ。
さすが、大学院生。みんなさまざまな経歴を持ち、もちろん英語も堪能。私は、普段英語を話す機会もないし、LAに着いてからも聞き取るので精一杯だった。その上、人見知りもありとても緊張していた。辿々しくも自己紹介をして、「モモコ」を「ピーチチャイルド」だと説明すると、中国人の子が偶然持っていたラベルに「桃」と書かれたサイダーの瓶をこちらに見せてくれた。
それぞれの文化がおり混ざった豪華な料理を囲みながら、話はみんなの国で年末はどう過ごすのか、それぞれの研究について、それから昨今の政治についてと展開していった。最初の方は割と会話に入って行けたが、だんだん日本語でも難しそうな話題になり(みんな政治学、社会学を研究している学生だから無理もないだろう)、ところどころついていけなくなり、友人にも通訳をたまにしてもらうながらも何とかその場をやり過ごしていた。
そんな中、中国人の子が先ほど見せてくれた桃サイダーの蓋を開けると炭酸が吹き出し、斜め前の大人しいこの回唯一の男の子めがけてかかってしまった。男の子は、その子の方を見ていなかったからジュースがいきなり自分にかかってきてとても驚いていた。それを見てみんなが笑い合い、私の緊張もようやく解けていく。
それから、韓国人の女の子が中国人の子の母親に「いいパートナーに出会えるアドバイスは?」と質問して、難しい話から身近な話になり私は内心ほっとして耳を傾けた。「今はもう夫と出会った時と関係性は変わってきている。今は、私は趣味のガーデニングをしてるし、彼も自分の好きなことして各々過ごしている。」聞かれた母親は答えた。「つまり、『Change is normal.』全てのことは移り変わる。日本語で言う諸行無常ね。そして、『Be water.』これは、ブルースリーの言葉だけどね、 私たちは水のように生きるべきよ。岩にぶつかっても、すり抜けていくの。水と言ってもパワーがないわけじゃない。力強く柔軟な水よ」
彼女の話にみんながうなづく中、先ほど質問した韓国人の女の子が言った。
「私は、バレエをやっていたんだけど、その時人生はバレエに似てると聞いたことがある。グループで踊ってそれから、1人で踊って、パートナーと踊る。1人で踊れるからこそ、2人でもいれる。大切なのはindependenceだ」。人生とは?良きパートナーとは?気になることはみんな一緒なのだろう。すごくいい言葉が聞けたと思った。文化は違えど、私たちは平等な「人生」という軸を生きている。そして、何より友人が私の知らない土地でこんなにも逞しく、素敵な友人にも恵まれ生きていることが誇らしかった。
会がひと段落して、泊まらせてもらっている友人宅へ戻ると、23時30分だった。せっかくだからと、年越しにダウンタウンまで向かおうとタクシーに乗った。ダウンタウンという街で、毎年カウントダウンが行われているようなのだ。
しかし、道はとても混んでいて、車はなかなか前に進まない。時計を見ると既に年越しまで残り3分を切っていた。このままだと間に合わないかもしれない。私たちは車を降りて、歩いてカウントダウンの場所まで向かうことにした。
残り、2分。歩いても間に合わなそうだから私たちは走ることにした。
その時、私たちと同じ方向へ走る女の子がこちらに声をかけてきた。彼女は韓国人で、観光で一人でこちらにきているのだという。
「一緒にカウントダウンを見てもいい?」彼女は言った。私たちは「もちろん」と返事をして、それぞれ自己紹介をした。すでに大勢の人で賑わっているダウンタウンに着くと、0時まで後少し。間に合った。
「5!4!3!2!1!!!」私たちは、一斉に声をあげる。そして0時になった瞬間、花火が打ち上がり、車のクラクションと人々の歓声が鳴り響いた。それから、私たちは新年の挨拶をし合って3人で記念に写真を撮った。初めての場所でさっき出会った初めましての子と年越しなんてなかなか新鮮だ。
その女の子は、私たちに「この地でできた私の初めての友達だ」と言って喜んでくれた。
そうだ、確かに友達ってこんなふうにできるものだと思い出す。
その韓国の子は、帰りにタクシーを使いたいようだったが、呼んでもなかなか捕まらない。周辺の治安はあまり良くないため、私たちはその子のタクシーがくるまで一緒に待ってあげることにした。感謝するその子に対し、私の友人は「『survive』私たちは協力しあって生き抜かないとね」と言葉をかけていた。生き抜くためには、喜んで力を貸す。私の友人が日本でもこちらでも友達が多い理由がよくわかった。
女の子とも別れ、ダウンタウンから家に戻って友人の部屋へ入った。ベッドの横に簡易的なもう一つのベッドが置かれたこの部屋で、私たちは一緒に寝泊まりをしている。
一週間以上の長い滞在期間中、この場所で2人で寝泊まりをして、常に行動も共にする。この日は、すでに3日目にして、お互い些細なことでイライラしたり(例えばひとつのケーキを分け合う際、少し多めに取られちゃった時とか)、なんとなく険悪なムードになることもあった。『charge is normal.』今回の旅も私たちの関係も、これからどうなって行くわからない。だけど、私たちだって、学生時代も今だって様々な壁にぶつかりながらも、人生を送って『water』のようにここまで流れてついてきた同士。これからも協力しあって、『survive』していきたいのものだ。
「ねえねえ、私たちひとつルール決めない?」私は友人に問いかける。
「ここにいる間、いくら喧嘩したとしても、ここまで会いにくるくらいの仲なんだから、私たち友達をやめるのだけはやめようね。やめるとしても私が日本に帰ってから考えよう。ここではあなたがいないと生き抜けないんだから」
別に言わなくてもいいこと。だけど、声にしておきたかった。
友人は笑って頷いてくれた。
