「おつかれ、今日の私。」Season2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.14
瞼がどんどん下がってくる。眠い。一日中椅子に座りっぱなしだったからふくらはぎはパンパンだし、指まで太くなっている気がする。体も顔も隅から隅までブヨブヨにむくんでるような感覚。いや、実際にブヨブヨなのだ。気持ちもズドンと沈んだまま。こういう時は、絶対に鏡を見てはいけない。あまりのショックで心身ともに這い上がれなくなっちゃうもの。気圧よ、早く元に戻っておくれ。
35年以上の付き合いになる月に一度のダウナー期にさえ手こずるのに、最近では気圧の変化にも体調が反応するようになってしまった。「気象病」なんて名前がついたから自覚するようになっちゃったんじゃないかと思ったけれど、そんな名称を知りもしない80歳過ぎの父親から「調子が悪い」と連絡があるのは決まって低気圧の日だ。なので、そういうことでもないらしい。繊細な人は昔からずっとこれをやっていたのかと思うと不憫でならない。
ほうほうのテイで帰宅し、ベッドにもソファにもたどり着けぬまま床に寝転んで一時間以上経っただろうか。喉も乾いたしトイレにも行きたい。でも、動けない。あー重い。すべてが重いし面倒くさい。あとどれくらいこうしていれば、私は起き上がれるのかしら。
もう秋なのに、生ごみは全部捨てたはずなのに、飲み終わったペットボトルもすべて中を洗ってあるのに、なぜかコバエが頭の上を飛んでいる。あーもうどうしたらいいの。私がなにをしたっていうの。目を閉じるしか選択肢がない。
頭のなかで少し妄想をする。妄想は心が傷付いていない時なら、たいていできる。安上がりだし配慮もいらない。あちらを立てればこちらが立たずなんてことを、一切考えなくてもよいところが最高だ。
今日はマンハッタンで暮らしながら、そこそこ人生うまく行っている自分を妄想した。妄想のなかの私はスタイル抜群で、長い脚をバッチリ出したショートパンツにちょっとおへそが出たトップスを着ている。ベッドの上でパイントサイズの容器を抱えてアイスクリームを食べている。もちろん、直接スプーンをぶっ刺して。しかも、妄想の中の私は小食な上になんでもすぐ飽きてしまうので、二口くらい食べたらすぐに冷凍庫に仕舞ってしまうのだ。現実ではありえない。
友達から連絡が来て、スリムジーンズを履いて街に出る。マンハッタンには特に詳しくないので、私は頭のなかのイメージトライベッカを歩く。大きなサイズのコーヒーを買って歩きながら飲む。とりあえず大きければだいたいニューヨークな感じになる。本屋に行って、友だちと喋って、妄想のなかでも家に帰ってきた。妄想の私は気象病にならないので、スリムジーンズを脱ぐときにむくみで苦労したりしない。買ってきた本は古い小説かなにかで、ベッドに寝そべって読む。どうやって生活してるんだろ、この人。
妄想でコーヒーを飲み過ぎたからか、ここで現実の膀胱が限界に達した。ふらふらと立ち上がり、ドア枠に引っ掛けた洗濯ものを避けながらトイレに入る。あ、トイレの電球を買ってくるのをまた忘れた。もう1か月は切れっぱなしだろうか。真っ暗ななかで用を足す。
今日はもうダメ。ダメダメのダメ。メイクも落とさないで寝てしまおう。枕カバーがメイクで汚れるのは嫌だから、枕にタオルかなにかを巻かなくちゃ。マンハッタンに住んでいたらこんな生活じみたことはしないのだろうけど、現実には明日がくるから、やるしかないんだよ。