「おつかれ、今日の私。」Season2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.9
昔から、私には他人の言葉を鵜呑みにしてしまうところがあった。それで気まずい思いをしたことが何度もある。あれは大学時代、アメリカに1年間留学していた頃のこと。留学生と新一年生の交流イベントが催されたことがあった。学内にあるいくつかの寮のうち、新留学生が住める寮はラーソンだけ。新一年生が住めるのはホイミ、キルドー、モーン、エリンソン、キルズビーの四つ。基本的に交わることはないグループが一堂に会するイベントに、私は興奮していた。
片田舎の小さな私立大学だったが、新入生は、まるでビバリーヒルズ高校白書の登場人物たちのように輝いて見えた。彼らの目には、私たちなんて映っていなかったと思う。けれど、なぜかその中の、かなりイカした男の子に話しかけられて友達になったのだ。友達になった、とその瞬間の私は思っていた。
「どこから来たの?」なんていうどうってことない会話の流れで、彼は「そのうち僕たちの寮にも遊びにおいで」と寮の名前と部屋番号を教えてくれた。いま考えれば、大人が交わす「そのうちごはんでも」と同じ類いの言葉。しかし、鵜呑みガールだった私は社交辞令を真に受け、その日の夜のうちに、留学生仲間数名と連れ立って彼の住むキルズビーに向かってしまう。だって、新入生ばかりが住む寮の中を見てみたかったんだもの。
元気よくノックしたドアが開いて、私たちを見た彼の固まった顔が今でも忘れられない。吹き替えを当てるなら「あ、ほんとに来ちゃった」あたりが妥当。紳士な彼は私たちを部屋に招き入れ、ルームメイトと一緒にわかりやすい英語のジョークを披露してくれた。かなり大げさな身振り手振りをつけて。
「ピートとリピートが船に乗っていました。ピートが船から落ちました。残っていたのは誰?」
私は勢いよく「リピート!」と答える。すると彼らはまた、「ピートとリピートが船に乗っていました。ピートが船から落ちました。残っていたのは誰?」と尋ねてくるではないか。当然、「リピート!」と答える私。「ピートとリピートが船に乗っていました……」が何度か繰り替えされ、ようやく自分が「リピート(繰り返して!)」と答えていたことに気づく。わあ!そういうことか。英語のジョークが理解できたことが嬉しかった。と同時に、上のほうから視線を感じて見上げると、二段ベッドの上段から、ブルネットの美女がおっきな教科書を膝の上に広げ私たちを冷たい目で見ていた。吹き替えを当てるなら「あんたたち、ばっかみたい」。
彼女の存在に気づいてから話は一向に盛り上がらず、私たちはものの15分で部屋から退散した。同行してくれた留学生は、「こんなこったろうと思ったよ」と呆れていた。どうしてわかるの? 私にはまったくわからなかったのに。
いまネットで調べてみたら、ピートとリピートのジョークは児童向けのものだった。あっそう。あの頃それに気付かなくて本当によかった。屈辱感にまみれてしばらく立ち直れなかっただろうから。大学に在籍していた一年のあいだ、この彼と言葉を交わしたことはこれ以降なかった。すれ違って「ハイ!」ぐらいは言ったかも。それも怪しい。
これ以外にも、嫌味で「すごいね」と言われたのに気づかず鼻の穴を膨らましたり、謝れという意味で「どうしてくれるんだ」と言われて「こうします」と真顔で答えてしまったり、「楽しかった」と言われて有頂天になったのに音信不通になったり、私は散々やらかしてきた。中年になってからはさすがに減ったが、単に気づいてないだけかもしれない。いや、間違いなくそうだ。
こういうことを書いたあとは「それでもよかったこともたくさんある」と締めるのが定石なのだけれど、よかったできごとなんてひとつも思い出せない。これからも私は他人の言葉を鵜呑みにし、外されたはしごの前で茫然とするだろう。過去の私と未来の私に「おつかれさん」と言ってあげたい。まぁ、仕方ないよ。そういう性分なんだから。