「おつかれ、今日の私。」Season2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.8
旅行したい、旅行したい、旅行したい。飛行機に乗って海外へ行きたい。ビーチサンダルとSPF50の日焼け止めを新調し、水着なんかも買っちゃって、東京では着られない色や形の服をスーツケースに詰め込み南の島へ飛んでいきたい。飛んだ先では つばの広いストローハットとサングラスとを決め込んで、プールサイドに寝そべりしぼりたてのフレッシュジュースを飲み干したい。下戸だから。そして一日中泳ぐんだ。仕事なんか一秒もしない。
夕方から街に繰り出して、まずはスパで体を癒そう。アロマオイルマッサージを一時間。ああ、いい香り。そのあと調べておいたレストランで夕飯をたらふく食べて、ふらふらと夜市を歩いてみたり。ホテルに帰ったらもう一度シャワーを浴びて、真っ白なシーツに体をボーンと投げ出す。クーラーで部屋が冷え過ぎているので窓を開けると、ムッと湿度の高い空気が部屋に入ってくる。カエルの鳴き声が騒がしい。はあ、旅行したい。東南アジアのリゾート地でのんびりしたい。
もともと、私は旅行好きではなかった。けれど、これだけ長いあいだ閉じ込められていたら、誰だってここではないどこかへ行きたくなるものなんじゃないかしら。毎日同じことの繰り返しで、友達と気ままに外食することも叶わない。これはこれで楽だとも思っているが、やはりどこかで息が詰まるような感じ。たまにガス抜きをしたくなる。東南アジアじゃなくてもいい、ハワイだったらなおのこといい。
ある休日、朝起きたら外の天気がハワイだった。最後にハワイへ行ったのは十年以上前だけれど、照りつける太陽と、ゆっくりと肌をなでる心地よい風と、高い高い空が記憶に残っている。この日の東京もそうだった。ああ、これはもうハワイ。少なく見積もっても4割ハワイ。
私はなんとか自室にハワイを手繰り寄せようと、Apple Musicでハワイアンミュージックを検索した。今どきのカフェっぽいのではなく、昔から地元の人が聴いているようなオーセンティックなのがいい。だが、良さそうなプレイリストにはどれも「カフェ」の文字が踊っているではないか。そういうんじゃないの、東京を感じたくないのだから。「おうちで感じるハワイ」なんていう、まさにドンズバなリストまであって、あまのじゃくな私はクリックせずそっと画面をスクロールした。
私が聴きたいのは、70年代に憧れのハワイ航路を味わった日本人が、ホノルル空港に舞い降りた途端耳にするような音楽だ。ロコが首に掛けてくれたレイをぶら下げて、うわついた気持ちで聴くようなやつ。できれば現地語で歌われていて欲しい。かたっぱしからプレイリストを聴いていくと、意外にも「Slow Life In Hawaii」というチープなタイトルがついたものが求めていたそれだった。
窓を開ける。ふわりと風が入ってきて、カーテンの裾をめくる。太陽は燦燦と私に照りつけ、スチールギターの気だるい音とエコーのかかった歌声が部屋に鳴り響く。ああ、ここはハワイ。ソファに座ってアイスコーヒーを飲みながら、私は目を閉じた。よし、7割ハワイ。
休日の自室にハワイを手繰り寄せるためのプレイリスト「Slow Life In Hawaii」だったが、なぜかいまでは仕事中のBGMとしてよく聴いている。夜遅くに少しだけ窓を開け、小汗を搔きながらこの原稿を書くいまも、スピーカーからは「アワプヒ・フラ」が流れている。残念ながら、仕事中だとハワイを2割しか感じられないけれど。ああ、早く本当のハワイに行ける日が来ないかしら。