「おつかれ、今日の私。」Season2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.7
子どもの頃、整理整頓が壊滅的に苦手だった。実家の自室はいつもごちゃごちゃしていて、ドアを開けるたび、母親は大きなため息をついていた。私もそうだった。学校から帰ってくると、雑然とした部屋でいつも途方に暮れてしまう。だったら片づければいいのだけれど、さっさと着替えてリビングに移動するのが私のやり方だった。「なかったことにする」スタイルだ。
いま考えると、私の部屋にはものが多すぎた。小学校に上がったころから社会人4年目くらいまで同じ部屋に暮らしていたが、「捨てる」という作業を習慣化した記憶がない。小学校の時に使っていた鉛筆が、平気でペン立てに刺さっているような部屋。その横に、もう二度と使わないであろうキキララの手動式鉛筆削りまであった。
部屋の容積は決まっているのだから、「捨てる」を経なければ、どんなにうまく収納しても部屋は片付かない。それを理解していなかった私は、右のものを左に移動し、左のものを右に移動して片づけた気になっていた。当然、三日もすればまたごちゃごちゃした部屋に戻ってしまう。母親は「捨てなさい」といつも口を酸っぱくして言っていた。そんなの無理よ。
中学高校時代に愛読していたオリーブ100冊、鼻がもげたクマのぬいぐるみ、小学校時代の日記、もう着られなくなったお気に入りの服。すべてのモノには、うっすら甘い記憶がしみついている。簡単には捨てることができなかった。薄汚れて鼻がもげたクマのぬいぐるみだけは、とてもじゃないけど可愛いとは言えない状態だったけれど。クマのゾンビ。
ひとり暮らしと二度の同棲、そして実家の撤収を経験し、私はものを捨てることを覚えた。物理的な移動は、モノ捨ての最大のチャンス。しかし、捨てる作業は大規模になればなるほど気が滅入ると相場が決まっている。そりゃそうだ、使わないもの=ゴミではないんだから。うまくやるコツは、四半期に一度は大胆な決断をすること。これで服や小物はだいぶ整理できるようになった。それでもまだミニマリストには程遠いけれど。
モノと比べると、記憶は勝手に消えてくれるから非常に助かる。私の場合、いつまでも忘れられないと思っていた嫌な記憶の、半分も覚えていないような気がする。十年単位で忘れられないつらかった出来事もあるけれど、へばりついていた後ろ向きな感情は、年月を経るごとに少しずつ剥がれ落ちていった。「ああ、嫌な思いをしたなあ」と、記号的に記憶するだけになっていくのだ。私の脳、なんて優秀なの。
記憶を記号化していくためのコツ、あるにはある。嫌な出来事があったら、そこからできるだけ遠くに離れるのだ。つまり、悪感情を更新し続けないこと。嫌な人って、必ず二度三度と嫌なことをしてくるものだし。ダメージを受けているときに、それを克服しようなんてしなくていい。そりゃあ、すぐには逃げられないこともたくさんある。忘れたいのに忘れられないと悩む夜だってある。けれど、「いつかはここから逃げよう」と決めておく。それだけで、心は少し軽くなる。
雑然とした子ども部屋に置かれていた鼻がもげたクマのぬいぐるみは、いまだ私の手元にある。近いうちに、ぬいぐるみ専門の修理屋さんに出すつもりだ。多分、ぬいぐるみ本体よりずっと値が張るだろう。それでいいと思う。たくさんのモノと記憶を捨てて、私はモノの価値を自分で決められるようになったのだから。
記憶は勝手に消去されるから楽だと思っていたけれど、ゾンビになった悪い思い出に再び手をかけ、ぬいぐるみのように新しい価値を持たせることは難しい。もげた鼻は二度と戻らない。だから、私は明日も生きるしかない。楽しい記憶を増やすために。どんな記憶も勝手に消えてしまうのなら、楽しいことばかりで私の脳を満たしておきたい。