「おつかれ、今日の私。」Season2
東京生まれの日本人。
現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。
おつかれ、今日の私。 vol.5
真剣に「やめたい」と悩んでいるわけではないが、なぜ続けているのかわからない習慣がある。毎日毎日、用もないのにコンビニに寄ってしまうのだ。必要なものなんかない。欲しいものもない。それでも毎日、必ず一度はコンビニに立ち寄る。空腹でもないのに惣菜やお菓子のコーナーをウロウロしたり、使わない化粧品を手に取ってみたり、家にたんまりストックがある洗剤を眺めたり。そうやって15分くらいコンビニのなかをさまよってしまう。
なぜこんなことをしているのだろう。ストレスが溜まりドラッグストアで大人買いをするのとは、ちょっと違う。見たこともない商品が必ずあるドラッグストアでは探索それ自体が楽しくもあり、欲しいものが見つかればスッキリ効果を実感できる。一方、コンビニに立ち寄って「そうそう!これが欲しかったの!」となることはほとんどなく、買うものがないとモヤモヤが増してしまうことさえある。そういう時は、チロルチョコをふたつだけ買って帰る。食べないで鞄のなかに入ったままなことも多い。
私は単に、お金を使いたいだけなのかもしれない。すごくすごく馬鹿げている。お金はあくまで欲しいものを手に入れるためのツールだ。なのに、「支払う」という行為のほうを欲してしまう。なにかを買った事実が、私に瞬間的な満足を与える不思議。手に入った商品は、お金を払った証のようなもの。立体のレシートだ。どう考えても、すごくすごく馬鹿げているし、チープ。まるで、口さみしくてスナック菓子をつまんでいるみたい。そういうことをしていると、体は太るが財布は痩せる。
女友達にコンビニにはほとんど行かない猛者がいて、私はいつも感動してしまう。必要なものがないから、あってもコンビニで買うよりほかで買ったほうが安いから、過剰包装の商品を買うとゴミが増えるから、と彼女は言う。なんて素敵な矜持ある生活。すべてに辻褄があっている。私なんて、偽らざる辻褄の合わない気持ちに毎日翻弄されているっていうのに。でも、これはある程度仕方のないことだとも思っている。
綺麗に辻褄を合わせようとすると、たいていどこかに嘘やごまかしや無理が生まれてしまうのが私だ。昔の話になるけれど、別れを切り出してきた男のことを一日も早く忘れたいと願いながら、時間の経過とともに少しずつ些細な記憶が消えていくことを嘆いていたことがある。忘れたいのに、相手のことを毎日うんと悪く言った。言うたびに思い出してしまうし、自分の言葉に傷付いてもいた。
ほかのことに精を出し、男のことを考える時間を少なくする。そうすれば時間薬が効いて忘れていくと頭ではわかっているのに、どうしてもできなかった。できないことが恥ずかしく、ハッと思い出したフリをして、過去のこととして悪態をついていた。女友達にはぜんぶバレていたと思う。
自分から別れた相手を恋しがって、さみしがって、泣いていたこともある。私はいったい、なにがしたいの。辻褄が合わなすぎるよ。それはそれはめちゃくちゃな状態だったけれど、あれは辻褄が合わないだけで嘘も無理もごまかしもなかった。毎日をやり過ごしていくのに必要な行為だった。
コンビニに行かない彼女には無理がない。心の底から「行く必要がない」と思っているから行動の辻褄が合っている。私の場合、「行く必要はないのに行きたいしなにかを買いたい」と思っている。だから毎日足を運ぶ。そして、もしかしてお金を払いたいだけなのかもしれない自分を、どこかで恥じている。だが、ここが踏ん張りどころだ。
ここでコンビニ通いを無理にやめると「コンビニには行かない」という、比較的どうでもいいことに価値を置き、自負を持つようになっちゃうのが私でもあるのだ。無理を自分で評価したくなるなんて、独り相撲が激しすぎる。そいういう自己欺瞞を放っておくと、コンビニのことを一日も早く忘れたいと願いながら、毎日コンビニを意識して悪口を言うようなハメになる。そっちのほうがずっと恥ずかしい。辻褄が合わないことに後ろめたさを感じながら、コンビニをうろついているほうがまだマシだ。
気が向いたら、わけもなく自負したり悪態を吐いたり断罪したくなるものを思い出してみてほしい。もしかしたら、それは自分の欲望を無理に辻褄合わせした結果の軋みなのかもしれないから。